我が家の家訓は

1、          正直である

2、          一生懸命働く(学ぶ)

3、          他と争わない

です。

 

ちょっと、昨日の続きを話させてください

3の、他と争わない。なんですが

これ、かなり意味が深くて、単に

喧嘩が嫌いだから、という話ではありません。

 

 

いくら個人の名義であっても

最終的に国に固定資産税(借り賃)を

払っているわけですが

 

そもそも、日本国の土地は

誰のものか?

という根本的な話は

さておき

 

昔の家庭では、隣の家との

境界線は、植木などで

印(しるし)をつけていました

結構、いい加減で。

 

もちろん、畑などもそうで

長いこと、畑に出向くことができず

隣の畑の持ち主に少しずつ

横取りされるということは

ざらでした

 

土地の登記書があるでしょ?

いや、実測されたものは

ごくわずかで、たいがいは

面積などがかなり違っていたものです

 

で、どうするかというと

国が地図を作るために

何年に一度か測量をするのです

 

そうです、登記上の面積相当が

存在もしないのに

固定資産を払うのは

至極滑稽ですから

 

法務局に行けば

畑であれ、山であれ

しっかりと登記されています

 

境界線がしっくりいかないときは

測量事務所を呼んで

その境界線に面している

地主全員が一同に会して

登記してある面積に対してそれぞれ

合意をして、天井が赤くなっている

杭を打ち込むのです

 

これ、結構大変で

多く分捕っている地主は

嫌がるのです

要するに、合意しないのですね

 

登記書があるのにですよ

長い間に、一年に10センチぐらいずつ

幅を広げていったんでしょう

おとなりも気が付かないようにして

 

そういう行為を

私の田舎では

「くじる」と言ってました

 

よく、私の亡くなったばあちゃんが

幼少のころに、夕食時、

「○○のば、今日もくじっとったぞ」

「きかん、ばあ やわ」

 

方言ですが

要するに少しずつ面積を

広げていた、というはなしです

 

話合いで決着がつかなければ

裁判をするしかないです

民事ですか?

 

話し合うのが嫌ならば

殴り合いでもしますか?

血が出るまで

 

実は、何の話をしているかというと

これ、隣の家同士の話ですが

家庭を国家に置き換えることが

できます

 

ただで、領土をもぎ取るのは

侵略です

 

最近、私は

日本国憲法の前文を

読んでみました

読んだことあります?

 

これ、すごいですよ

そりゃ、9条のことは

よく議論されています

戦争放棄は有名な話です

 

前文の中に

日本人の進む方向が示されています

要するに、ベクトルです

日本人(にっぽん)はどこへ向かうか?

 

前文を端的にいうと

世界の中で協和する日本人は

主役が国民であり

国政は厳粛な信託により

代表者が権力を行使するが

福利は国民が享受する

日本人は恒久の平和を念願し

政府の行為によって再び

戦争の惨禍を起こさない

云々

 

話は、戻りますが

もし、我が家の家訓が

明治初期に村のお寺の住職に

無理やり押し付けられたもので

松本家の人間が決めたものでないから

邪訓である

 

という人がいたとしたら

それは、物事の道理が

分からない人です

 

他人から与えられたものであっても

字際に、家訓によって

幸せになっていれば

いいじゃないですか?

 

誰が考えたか?

って、そんな大事では

ないのです

 

憲法は

家庭でいえば

家訓だと思っています

 

他人と争わない、

争って得する人は

誰もいません

それぞれが、傷ついてしまって

 

アメリカのGHQから指示された

憲法だから

変えたい?

 

違うんでしょ

もう一度、

戦争をしたいんでしょ

 

 

憲法(家訓)を

変えたいということは