おはようございます

久々にお邪魔します

ご無沙汰しておりました

本年もどうぞよろしく

お付き合いくださいませ。

 

さて、

正月になれば、いつも同居していた

明治生まれの祖母は

「学校に行かんでいいがーか?」

と、言ったものです

私が小学校のときの話ですが

 

その理由は、以下のものです

抜粋ですが

 

学校では「御真影」(天皇の写真)と教育勅語が最も尊重され、式日(天長節_天皇誕生日、新年_正月、明治節_明治天皇誕生日、紀元節_建国記念日)には児童は登校し、講堂において校長により教育勅語が奉読された。

壇上に飾った御真影の開扉の合図とともに「最敬礼」の号令がかかると、全員壁を倒すように手が膝につくまで深く敬礼をする。校長による長い時間の奉読は低学年の児童など、その姿勢を保つのが苦痛である。

 奉読が終わると「御真影閉扉」の合図で「直れ」がかかる。ようやく頭を上げたその時はすでに御真影は閉ざされて児童たちの目には入らぬ。

 幼年時代から天皇とその国家への畏敬と服従の習慣を、肉体的にも定着させたのである。「天皇陛下」という言葉が出ると皆、直立不動の姿勢で聞く。天皇及び皇族に対し少しでも批判がましい言動があると不敬罪として重く罰せられた。

 

しかし、戦前生まれの私の父は

そこまで、天皇に畏敬があるとは

感じられない、かな。と思います

 

ただ、現在の天皇皇后両陛下の

映像をTVで見るにつけ

謙虚な姿勢で、ひざまずいて

同じ目線で、被災地などを

訪問されているのをみると

その場だけを取り繕ってはいない

根本的な優しさを感じてしまう

のは私だけでしょうか

 

先日も、大相撲で国技館に

両陛下がお出ましになりました

私はTVの画像からしか見てないわけですが

なんて、形容したらいいのか

表現できるのか

 

オーラがあるといいますか

会うだけで感動するといいますか

難しい表現ですが。

 

って、いうふうに見ていました

あなたの生活している

回りにそんな方、いますか?

 

人間、人の役に立とうと思ったら

間違いなく

「笑顔」です。

優しいです。

逆はないです

 

私は、コマーシャルでも

赤ちゃん、がTVに写ると

無条件で、自分の顔が

ほころびます

 

純、だからだと思いますが、

善悪がないですよね

無垢(むく)といいますか

 

ああそれなのに

・・・

いつの間にか

・・・

 

私ね、いま

実は、修行しています

そんな、大げさな

お寺にこもって

ではありませんけど

 

 

何度もお話していますが

「自分」「我」「エゴ」

言い方はどれでもいいですが

これをですね

捨てれたら

間違いなく

「幸せ」になれると

信じています

 

先ほどの、天皇皇后両陛下、も

赤ちゃん、も

 

自分が無いです

だから、出会ったひとが

笑顔になるんです

 

笑顔は神さまと同じ

なんですけど

小我があるとできませんし

やったとしても、引きつった

無理のある笑みです

やらないよりもましですが

 

それで、我があるあかどうか

日常生活では

直ぐ分かります

 

私は、腹が立つし、

せっかちだし

 

家の中では

トイレ掃除をしているのですが

何も、毎日時間を決めて

やっているわけではありません

 

自分がトイレに入るたびに

1分、2分の簡単な

掃除です。直ぐ終わります

 

二つのトイレを担当しています。

ていうか、使うわけですけど

 

同居している義父は

歩行器または杖がないと

歩けませんので、

ということは、結構ふらついたりして

トイレを汚すわけですね

 

実の親なら?

とか、腹が立つ原因は

理屈ではあると思います

まあ、理屈はいいとして。

 

昨日も台所で、ですね義父が

小さめのゴミを捨てに来たので

私のほうが、ゴミ袋に近かったので

それをですね、預かって大きな袋に

入れてあげようと思ったわけです

そして、手を出して預かろうとしたら

 

ぎゅーっと、力入れて

よこさないわけです。

あ、自分で捨てたいんだな

と思って、どうぞ、って。

 

「変わったひとだな」って

思うわけ、というか

むかつくというか

だったら、全部で自分でやれよ、

人に迷惑かけないで。と

 

私は、毎日

その義父の汚したトイレを

掃除しています

 

人は、簡単に自分の

都合を捨てれませんよ。

ですが、これ以上の

いやなことは、ないので(たぶん)

調度いい、修行だと

思っているんです

 

普通に、平気で

喜んでやれるようになったら

 

 

私は、もっと

幸せになっている

と、思っています