おはようございます。
本日はお休みですね。
いかがお過ごしでしょうか?
さて、本日は
「思う」と
「知る」
の違いについて
考えてみたいと思います
恥の文化が残る日本では
「恥を思いなさい」とは言いません
「恥を知りなさい」
と言います
一体、どう違うのでしょうか?
以前にもお話ししたことが
あります。
私たちの考え方の
基本には、他人との比較があります
それを、相対性、といいますが
自分の背が高いか低いかは
誰かと比べないと分かりません
そりゃ、アリと比べれば
大きいに決まっていますが‥‥
中学時代のバスケチームでは
私は一番背が大きく
センターをやっていました。
いわゆる、ゴール下ですね
ところが、高校に入ると
190㎝の先輩が二人もいて
180㎝台の先輩や同級生もいて
175㎝(入学当時)の私は
監督から、小さいんだから動き回れ
と、いわれたのでした。
へえ、小さいんだ
誰と比較するかによって、雲泥の差です
相対的な物の見方とは、そういうものです
比較して何ぼです
私は、小学一年のクラスは、4組で
同じ方面の奴らと一緒に帰っていました
少し遠方の二人と一緒に。
でも、毎日、我が家の前を通る瞬間に
見つからないように、瞬間移動してました
理由は、家を知られたくなかったからです
当時の家は、道路に面した間口が7メートル
の幅の土地が永遠と、一本奥の次の道路まで
300メートルくらい奥行が続いていました
家屋の後ろは、納屋と続く畑でした
すごいでしょ、ざっと600坪はあったんでしょうか?
そして、現在のイオンが建っている敷地内にも
田んぼが数枚ありました。
一反あたり、毎月9万円くらいの賃貸が入る
そうですが、持っていればの話ですけど。
でも、その時は凄くなかったんです。
財産価値とかそういうことではなくて、
それが、当たり前だったから。
逆に、不足不満だったんです。
でかいだけの、古い家。
いやいや手伝っていた農業。
などなど
私が、幸せだと思っていたのは
魔法使いサリーちゃが住んでいるような洋風の
モダンな家でした
んー、人には見せたくなかった
内も外も、子供心に。
我が家の子供4人は
うまいこと育っているねー
と、よく言われます
特に、長女は、自然体です。
私からみても、正直、飾りません。
すごいなあ、と感心します、娘ながらに
卑屈感がないのでしょう
たぶん。
ぶっちゃけ、卑屈とか優越は
他人との比較です
私は、小学一年ですでに卑屈でした
先日、新聞で読んだと言って、家内が
教えてくれました
財を成した人のなかには、タイプが色々
あるそうで、中には謙虚な方もいらっしゃいます
人間的に尊敬できるタイプです
でも、貧乏にしかいないタイプがあるそうです
それは、
ねたむ(妬み)ひと
うらむ(恨み)ひと
・・・
なるほど。
成功本、と呼ばれる本の中でも
「自分はすでに金持ちと思いなさい」
と、書かれている本も良く見かけます
これは、違います
だって、腹の底は、どこまで行っても
貧乏だと思っていますから
先ほどの、小学一年のわたし。
家が、貧乏だと思っていました
家を、内外から見られるのが嫌でした
恥ずかしいとさえ思っていました
それは、
我が家が貧しくないことを
「知らなかった」
からです
私は、生まれて50年、このかた
一日に、全くご飯が食べれなかった
という日は一日もありません。
不運の事故はありましたけど、
病院に掛かれなくて、死にそうに
なったこともありません
でも、裕福だとも思ってないのです
いや「知らない」のです
本当の、貧しさを
比べる対象が‥‥
っていうか、比べているうちは
相対的な喜びしかないのです
もっと、もっと
欲しい
不足の不満ぐせは
何を頂いても
不足
幸せは、一生来ないでしょう
実は
もうすでに、頂いています
沢山のものを
あの時も、頂いてました
あの時も
それを、知らないからです
無理に思わなくてもいいのです
知ればいいのです
本日はお休みですね。
いかがお過ごしでしょうか?
さて、本日は
「思う」と
「知る」
の違いについて
考えてみたいと思います
恥の文化が残る日本では
「恥を思いなさい」とは言いません
「恥を知りなさい」
と言います
一体、どう違うのでしょうか?
以前にもお話ししたことが
あります。
私たちの考え方の
基本には、他人との比較があります
それを、相対性、といいますが
自分の背が高いか低いかは
誰かと比べないと分かりません
そりゃ、アリと比べれば
大きいに決まっていますが‥‥
中学時代のバスケチームでは
私は一番背が大きく
センターをやっていました。
いわゆる、ゴール下ですね
ところが、高校に入ると
190㎝の先輩が二人もいて
180㎝台の先輩や同級生もいて
175㎝(入学当時)の私は
監督から、小さいんだから動き回れ
と、いわれたのでした。
へえ、小さいんだ
誰と比較するかによって、雲泥の差です
相対的な物の見方とは、そういうものです
比較して何ぼです
私は、小学一年のクラスは、4組で
同じ方面の奴らと一緒に帰っていました
少し遠方の二人と一緒に。
でも、毎日、我が家の前を通る瞬間に
見つからないように、瞬間移動してました
理由は、家を知られたくなかったからです
当時の家は、道路に面した間口が7メートル
の幅の土地が永遠と、一本奥の次の道路まで
300メートルくらい奥行が続いていました
家屋の後ろは、納屋と続く畑でした
すごいでしょ、ざっと600坪はあったんでしょうか?
そして、現在のイオンが建っている敷地内にも
田んぼが数枚ありました。
一反あたり、毎月9万円くらいの賃貸が入る
そうですが、持っていればの話ですけど。
でも、その時は凄くなかったんです。
財産価値とかそういうことではなくて、
それが、当たり前だったから。
逆に、不足不満だったんです。
でかいだけの、古い家。
いやいや手伝っていた農業。
などなど
私が、幸せだと思っていたのは
魔法使いサリーちゃが住んでいるような洋風の
モダンな家でした
んー、人には見せたくなかった
内も外も、子供心に。
我が家の子供4人は
うまいこと育っているねー
と、よく言われます
特に、長女は、自然体です。
私からみても、正直、飾りません。
すごいなあ、と感心します、娘ながらに
卑屈感がないのでしょう
たぶん。
ぶっちゃけ、卑屈とか優越は
他人との比較です
私は、小学一年ですでに卑屈でした
先日、新聞で読んだと言って、家内が
教えてくれました
財を成した人のなかには、タイプが色々
あるそうで、中には謙虚な方もいらっしゃいます
人間的に尊敬できるタイプです
でも、貧乏にしかいないタイプがあるそうです
それは、
ねたむ(妬み)ひと
うらむ(恨み)ひと
・・・
なるほど。
成功本、と呼ばれる本の中でも
「自分はすでに金持ちと思いなさい」
と、書かれている本も良く見かけます
これは、違います
だって、腹の底は、どこまで行っても
貧乏だと思っていますから
先ほどの、小学一年のわたし。
家が、貧乏だと思っていました
家を、内外から見られるのが嫌でした
恥ずかしいとさえ思っていました
それは、
我が家が貧しくないことを
「知らなかった」
からです
私は、生まれて50年、このかた
一日に、全くご飯が食べれなかった
という日は一日もありません。
不運の事故はありましたけど、
病院に掛かれなくて、死にそうに
なったこともありません
でも、裕福だとも思ってないのです
いや「知らない」のです
本当の、貧しさを
比べる対象が‥‥
っていうか、比べているうちは
相対的な喜びしかないのです
もっと、もっと
欲しい
不足の不満ぐせは
何を頂いても
不足
幸せは、一生来ないでしょう
実は
もうすでに、頂いています
沢山のものを
あの時も、頂いてました
あの時も
それを、知らないからです
無理に思わなくてもいいのです
知ればいいのです