本日も読んでくださってありがとうございます。
私は寒いです。金沢が、ですけど正確には。
寒くないですか?

また、今日も何かの参考になれば幸いです
私自身も、話すことで勉強になっていますので
どうぞ、楽しんでください

さて、
やっぱり、私の弱点は、かーっとなることですかね
そんなに、短気ではないつもりですが
他人にそういわれたこともないのですし・・・


でも、相手から向かってくると、つい熱くなってしまいます

そういうのを、一緒に地獄に落ちる、というんでしょうか?
自ら怒ってるので、他人のせいではありません

例えば
もし、毎日を、誰かに試されているとしたら?
もしですけど

監視員がモニタで監視をしている
個人情報は、絶対に外に漏れない、
なぜなら、監視員には口がないから
そう、肉体がないから

監視カメラは特殊で、赤外線カメラのように
見えないものまで観えてしまう
つまり、こころの中まで見えてしまう

実は、全部ばれている、という状態で。
顔をどう繕っても、隠しようがありません。
腹と口が違う人も、もちろん騙せません

そして、監視員は色々判定をしています
ルールがちゃんとあります
でも、我々は
そのルールが分かりません
ちんぷんかんぷん?

たまに、気がついている人がいるくらいです
たまに・・・
でも、基本は誰も、知りません

ルールは、知っていようといまいと
万人に平等に作用します
そういう意味では、実にシビアです
クールです。冷たいと感じるかもしれません

そんなの知らないから!
と言っても、通用しません
だめなのです

ルールは?

気になりますよね

単に、道徳的によるものではありません
善悪的でもないのです
そうです、変っているのです

そのルールとは

二つあって

一つ目は

・すべて自分に原因がある

ということです。
誰のせいでもありやしない、という
すっきり、はっきりしています

もともと、こころを見透かされているのですから
他人のせいにしているのは、ばればれです
そうなると
どうしてやることもできません

監視員からすれば、そんな心でああすれば
こうなるのは当たり前だよ、ということなんです
因果応報といいますか
因果の理法といいますか

自分勝手は、結果がおのずと知れているわけです

もう一つのルールとは
少しレベルが高いものです


・自分の都合を捨てた人は、願いがかなう!
とういうことです

一見、矛盾しているように思いますが
実は、すっきりしています

私たちは、まず自分の都合で物事を判断します
都合が悪い現象が起きれば、都合が悪いのは、
都合が悪いと感じているのは、自分です。
それが、苦となっています

子供が学校に行かない
行かない、本当の苦しみは、自分の都合です
子供のことではありません
認めたくなくても、事実です

そして、いかにも将来を心配してるかのように
子供を叱ります。言って聞かせようとします
自分の都合で動いてくれる相手などいません
子供はなおさらです

違う例で話します
今、腹が痛い
腹が痛いことに、それ自身に、集中しているときは
同時に自分の都合は、発生しません

少し、余裕が出来れば、なぜだろう?腹痛の理由は?
これが、ずーっと続いたら、どうしよう?など
不安になります
不安は、腹痛の苦しみとは別物です。
腹痛とは別に将来の不安という苦痛が発生したわけです

いま、食べるものがない、腹が減った、どうしよう?

こういうのは、現実苦です。
現実の苦しみははっきりしています


ところが、多くは、それに付随して、自分の都合が
苦しみになっています。なかなかそこに気が付いていません。

見栄
体裁
ねたみ
傷つきたくない
言われたくない
頭を下げたくない
負けたくない


などなど


不思議なことに、自分を捨てて成功している方は
たくさんいます。

荒れたクラスの担任の先生
漁場一番になった猟師
どこよりもたくさん取れる米のお百姓さん
潰れそうな酒屋さんが借金を返して家を建てた話


などなど

問題は、自分の都合で解決しようとしても
うまくいかないことになっています

自分の都合を捨てるということは、相手側に100%移動
することにほかなりません。

自己中心の人間がそれを実践すれば、窮屈です
分かっています

でも、死ぬまで、自分の都合という苦しみに追われるより
ましかもしれません


・・・