毒を以て毒を制す?悔い改めさせる?東京映画/東宝「ヘアピン・サーカス」見崎清志/江夏夕子 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんばんは。

 

 

本日13時の勤務開始に備えて後2.3時間後に就寝しますが、身体を芯から温める為に焼酎のお湯割りで一杯遣っています。

 

 

 

さて本日は、日活ロッポニカ「首都高速トライアル」が制作・公開された後、時代背景や鑑賞手段の変化等々も影響したのか「ビデオ専用作品」として人気を得た「公道に於けるカーバトル作品(「首都高速トライアル」もビデオ作品化され更に人気が高まりましたし、若かりし頃の西村和彦や高島礼子も出演。そして俺は「自動車好き以外には理解され難い不親切な内容」である為好きではありませんが「湾岸ミッドナイト」も高いレンタル稼働率を誇っていました。単発作品を含めればこの分野だけでも相当な作品数)の雛型となったのではないか?」と思える作品です。

 

 

 

「ヘアピン・サーカス」昭和47年4月5日公開・五木寛之原作・永原秀一脚本・西村潔監督・東京映画制作・東宝配給。

 

 

DVD/ブルーレイ化作品ですが有料動画配信は行われていません。

 

 

 

 

 

 

睦五郎が率いるレーシングチームのエースドライバーとして輝かしい功績を残しながらも、マカオでのレースで自らが原因でライバルのレーサーを事故死に追い遣ってから引退し、現在では自動車教習所の教官となっていた見崎清志(当時現役のレーサーで、平成初期には日産スカイラインGT-R(BNR32型)でスーパー耐久レースに出場し複数回優勝された事も在ります。尚、KINENOTEでは「三崎清志」となっていますが誤記です)。或る日、高速道路で「葱を背負った鴨を挑発し事故に追い遣る一団」と遭遇するのですが、それを率いる「MF10型トヨタ・2000GTを操る女王様」は、見崎さんが教官を担当した江夏夕子。

 

 

教習時から江夏さんは見崎さんの言葉に耳を傾けず、時には路上に教習車を放り出して帰宅してしまう程のじゃじゃ馬!しかし運転技術に関しては類稀な反射神経とカンを持っており、レーサー引退後退屈で無気力な日々を送っていた見崎さんを一時輝かせた女性(しかしそれは「女房の戸部夕子と子供を裏切り肉体関係を結ぶ」ではなく「レーサー時代の情熱を眠りから覚まさせる」と云う類のもの)。その江夏さんに「運転の基本」」を再び言葉少なに伝える見崎さんでしたが耳を傾けるどころか「女だと思って鼻の下を伸ばして挑発して来る馬鹿野郎を撃墜するのが爽快そのもの!」と言い放つ始末!そしてその行為が有名プロ野球選手に向けられ目も当てられぬ事故となった事を新聞で知った見崎さんは職務を離れ、睦さんを通じてロータリーエンジンのS102型マツダ・サバンナを手に入れ「毒を以て毒を制す?自らの心情にも毒を盛り江夏さんを悔い改めさせる行為?」を実行するのです。

 

 

 

 

 

 

上の写真は、江夏さんが撃墜した車両数を菊の花に変えて描く場面なのですが、これは後に東映で実写化された漫画「サーキットの狼」が踏襲しています。演出が優れた場面や描写が後の作品に流用・踏襲される事はその対象となった作品が優れているからに他なりませんし、観る側としても大歓迎!この様な姿勢が過去には「映像作品の質の向上」に繋がっていたのですし、それ以前に「完全な独創で一つの作品を成立させられる制作陣が行った事」ですから言う事は何も無し!

 

 

 

「愛に飢えた二人の車が…」と云う惹句がDVD等々に書かれている為、自然とその方向で観てしまったのですが…江夏さんに関しては素性等々に関して何も語られないものの「免許取得後一年間で車を数度乗り換えた事実」「見崎さんが自宅を訪れる場面」から「裕福な家庭である事」が解ります。しかし「人間愛に飢えた結果がこの顛末」他人を撃墜させる爽快感も「自らよりも少なからず愛を享受している周囲への妬みが一番の理由である事」を伺わせます。その一方で見崎さんに「キスして!」と言い放ってもいますので、助けを求めていた点も否めません。

 

 

そして見崎さんは妻子持ちかつ未だに運転技術を惜しむ睦さんとの関係が良好とは云え「自らの過去を慰めているかの様な周囲の行き過ぎた対応」(又は「本心なのか?表面上のみなのか?疑いの目を常に持ってしまう様な日常」となるか?)に対する疲労感に「只々時間が過ぎて行くだけの様な刺激の無い退屈な時間と環境」が加味され、その結果が「無法者達への制裁行為と云う美名で包み込んだ不法行為」となった感」を抱きます。

 

 

「愛情等々を意味する類の言葉・台詞を一切出す事無く、激しいカーチェイスや抑揚の非常に小さな場面描写のみで「愛」を描き切った当作品」は、俺としては「東宝が公開した娯楽映画の中では上位10本の一つ」に入りますし、この作品に関しては「健全娯楽主義かつ脱線を余り好まない東宝の姿勢をよく理解していた、東宝系列でありながらも「汚れ仕事」を多く引き受け、演出の自由度も同じく東宝系列の東宝映画より高かった東京映画が手掛けた幸運」も在り、名画となったと感じます。

 

 

 

これも見所ですが、当作品では江夏さんが操った黄色のトヨタ・2000GTが最後に破壊されます!

 

 

 

 

 

 

大学卒業者の初任給が概ね¥26,000-であった昭和42年に発売されましたが、この2000GTの車両価格は当時で¥2,380,000-!何せ「当時のS50クラウンが二台・E10カローラが六台買える価格」だったのですから如何に高嶺の花であったかが伺える話です。それでも生産に手間がかかる車両であったため常に赤字計上での販売であったものの、トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)は広告塔として約三年間販売を続けました。総生産台数は約340台(内、我国で市場に出たと思われる車両は約220台)の稀少車で、現在の中古車市場では数千万円単位の価格が付く事も珍しくはありません(以上ウィキペディアより引用しました)。

 

 

現代の感覚では「勿体無い!」ですが、当作品制作当時は例えどんな高額車であったとしても「自動車に対する価値観や希少性に対する見方」「道路の舗装化率が低かった事に起因する、絶対性能や耐久性に大きく影響する埃の問題」等々、現代とは比較にならない感覚・現実が存在していた為、例えこの車両が高額であるのを知ってはいても破壊する事に躊躇はしなかったと思います。

 

 

 

最後に…俺は持ってはいませんがこの劇用車のミニカーが発売されています。