宍戸錠自薦!渾身の一作・日活「拳銃(コルト)は俺のパスポート」ジェリー藤尾/小林千登勢 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、おはようございます。

 

 

今晩20時の勤務開始に備え、毎週末恒例の夜更かしですが…昨日はプロパンガスの定期点検(古いアパートですから…)とガス漏れ警報器の交換を遣って貰った直後に昼飯も食わずに寝入ってしまい起床すると既に夜でした。「夜に食料品の買い出し」は久し振り!

 

 

 

さて「エースのジョー」こと宍戸錠が天国に旅立たれてから大凡二週間となりましたが、平成24年に放映されたchNECO「日活創立100周年記念番組」に錠さんが出演されていたのを思い出しました。

 

 

この企画では「日活出身の役者の自薦作品」が放映されたのですが、勿論錠さんも登場し(他に浜田光夫・渡哲也・和泉雅子等々。総合案内を担当したのは松原智恵子)「過去にお互いが「お前となんか二度と映画なんか撮るものか!」と喧嘩をしたが、その後に手掛けていた作品を観て「巧くなっているなぁ…」と感じ、当作品制作時には「日本一のギャング映画にしよう!」と誓い合った。今でも俺は「日本一のギャング映画」だと思っているし、この類の作品が好きな方々には何も考えずに観て欲しい」とお話をされていました。

 

 

余談ですが、本来「日本人は老若男女を問わず、腹の底に在る物を全て吐き出したかの様な真剣な大喧嘩をした相手とは即座に、又は何かを切っ掛けに盤石な友情・信頼関係等々が構築される」と俺は思っています。

 

 

例えば東映では「鶴田浩二と中島貞夫監督」がそうであったらしいですし(大凡10年間の冷ややかな関係が、或る仲裁の方が設けてくれた一席で即座に融解したそうです)多くの映像作品でも描かれている…俺の人間関係でも「一生付き合えると思っている数人の方々」は「一度か二度の大喧嘩を経て現在の関係に至っている」ですから、これも「日本男児の美徳」として継承・踏襲・伝承すべきですが…今は「差し障りの無い、浅く広い関係=八方美人としか言い様の無い関係」がかなり蔓延していますからこの先は想像を絶する状態となる可能性が高いでしょう。

 

 

 

「拳銃(コルト)は俺のパスポート」昭和42年2月4日公開・藤原審爾原作・山田信夫/永原秀一の共同脚本・野村孝監督・日活制作。

 

 

VHS/DVD化作品でDMM.com/ビデオマーケット/Amazonビデオ/YouTubeムービー内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

●日活公式・YouTubeプレビュー動画

 

 

 

 

 

 

何故「拳銃」を「コルト」と読ませたか…これは未だに撮影用の模造銃火器では最も有名でウィキペディアにも掲載されている通称「日活コルト」の影響と思います。

 

 

しかし、錠さんが使用していた撮影用拳銃は「回転式拳銃」!コルトは全自動式拳銃ですから形態が全く違います。

 

 

 

 

 

 

当作品に関してはウィキペディア内に該当ページが存在しており、かなり鑑賞を繰り返された方々が銃火器の他にも劇用車等々に関する「様々な考証」を書かれておられますので、お手数をお掛け致しますが其方を参照下さい。

 

 

※ウィキペディア「拳銃(コルト)は俺のパスポート」は此方から

 

 

 

関西の黒幕・嵐寛寿郎が横浜に侵攻してきた事を快く思っていなかった横浜の黒幕・佐々木孝丸は凄腕の殺し屋である錠さんとその弟分の藤尾さんにアラカンの暗殺を依頼し、錠さん達は「入念な下見と準備」「二重三重の防衛策」等々を行った上で暗殺を完遂したものの、羽田空港から海外逃亡する直前でアラカンの手下の追手に阻まれます。

 

 

しかし、藤尾さんの機転で拉致監禁からは脱し、更に佐々木さんの秘書の本郷淳の指示で「佐々木さんの傘下組織で港湾荷役等々の裏の顔役」内田朝雄の組織に匿って貰った上で船舶による海外逃亡を画策する事となります。

 

 

そんな時、身の隠し場所として指定された武智豊子が主を務める飲食店兼宿泊所の紅一点・小林千登勢と出逢います。当初はぎくしゃくした関係ではあったものの「水上生活者から陸地に這い上がり、自らの居場所を見付けようと尽力をする薄幸の女」と云う経緯・現状に錠さんは次第に惹かれて行き、千登勢さんも当初は「あたしは付き合った男を不幸にする女」と言いながら、錠さんの海外逃亡直前になりダルマ船の船長の山田禅二に「あたしの席も有るかしら?」と「錠さん・藤尾さんと共に海外逃亡をする意思」を固めますが、丁度その頃「錠さん達を厄介者と感じ始めていた内田の朝さん・実父を弔う為に二人を葬りたいアラカンの実子・杉良太郎」が利権の譲渡を条件に手を組み…

 

 

 

 

 

当初はカラー作品として予定されていたものの「白黒で撮ってくれ!」と指示をしたのは錠さん…「経年劣化がカラーよりも穏やかで、細部が幾分鮮明に見える」等々の副産物をも生み出す事が特徴ですし、他社の同種の作品にも言える事ですが「白黒フィルムの魔力なのか、カラー作品では味わえない別次元での迫力が感じられる事」が一番の美点!

 

 

「腹の奥底に何かどす黒いイチモツを隠しているかの様な雰囲気に合致する映像美」「迫り来る人物や乗り物、銃火器等々から吐き出される硝煙を一層際立たせる効果」「色彩感覚を観客の感性に委ねるだけに留まらず、先の読めぬ展開をより深く想像させてしまうかの様な楽しさ・面白さ」とでも言えばいいのかなぁ…そして「白黒作品での制作を指示した錠さん」「観客の側から作品の制作に携わる事の出来る、心から映像作品を愛していた俳優であった」とも言え「勉強・運動と並行しながら映画もよく観て、将来はプロ野球選手か俳優の道に入る事を決意し、演劇を学ぶ為に日本大学藝術学部に入学した経緯」(但し「第一志望」は早稲田大学であった模様で、其方は不合格)も持っていたからこそ出来た事であるとも思います。

 

 

そして「劇用車(S54型プリンス・スカイラインGT)を「証拠隠滅の場面の一部」として海中に落下させる(但し、ウィキペディアにも書かれていますが「殉職車」はS50型プリンス・スカイライン1500。「高価な高性能仕様は温存し、安価な大衆仕様を代車にする思考」だったからか?それでも当作品当時「最も古くても四年程度の車種」でしたから豪快と言えば豪快で、現在ではとても考えられません。しかしこの当時は「この類の場面描写」が結構存在します)」等々「錠さんの提案の約七割を野村監督は受け入れてくれた」そうで、心から感謝をしている様子が伺えました。

 

 

「最後の決斗を前にした準備過程の丁寧な描写と、冒頭の殺しと同様の綿密な計算高さが生み出す結末の爽快感」これに関しては錠さんは明言をされてはいませんが、俺はこの「手に汗を握らせる当作品最大の見所にも、錠さんの提案が存分に生かされていた」と推測をします。

 

 

「もし錠さんが企画・統括・脚本・監督等々、制作側に携わったとすれば…此方でも名声を得る事が出来たのではないか?」と思える程です。

 

 

 

作品としても「錠さんが自信を持って推薦した事」が全く以て頷ける面白さ!普通「制作陣・出演陣が自薦をした作品=好き嫌いがはっきりと分かれる作品、自惚れ・自己満足等々に浸っている様子が伺える作品」が多いのですが(私感)当作品にはそれが無い事も、先述した「錠さんの俳優としての姿勢・将来像を早くから描き、実の有る財産を得ていた努力の賜物」とも言えます。

 

 

「台詞の一切無いアラカンが早々に退場!」「武智さんとトラック野郎達との遣り取りが作品内の清涼剤として効果を発揮している事」「俯き加減で笑顔どころか微笑みも見せず、薄幸と気の強さを強調した芝居で全篇を乗り切った千登勢さんの芝居巧者振り」「静の錠さんに対し、幼さや無軌道振りで生来の持ち味を存分に生かしたかの様に見える藤尾さん」「東映作品群からそのまま出て来た様な、飄々とし助平な安定感抜群の黒幕振りを見せた内田の朝さん」「マンション管理人として登場する中村是好・当時日活専属俳優であった杉様の初々しさ・自動車修理工の榎木兵衛(東映京都制作「北陸代理戦争」に於いて、野川由美子が経営するクラブで「ワシの会員証はこれや!」イチモツを披露し、その後に小林稔侍等々と共に豪雪の海岸に頭だけを出した状態で埋められ、ジープで頭を潰された方!…と言えば思い出される方々が多いかと思います)・アラカンの組織の殺し屋の草薙幸二郎等々、脇役も充実」等々、何度でも鑑賞したくなる作品です。

 

 

 

 

 

 

最後に、此方の手形ですが…

 

 

 

 

 

 

これは我が郷里・盛岡市中心部の「映画館通り」の歩道に展示されている「錠さんの手形」!

 

 

この写真は、俺の実家の近隣に在る盛岡市中央公民館で平成27年5月に催された「盛岡市内の映画館の歴史を辿る展示会」の為に、一時的に持ち込まれていた際に撮影しましたが、平成12年に盛岡市内で行われた「みちのく国際ミステリー映画祭」(平成9年から平成18年迄開催されていました)に錠さんが来盛された際に残された手形であるそうです(他に水野晴郎・岡本喜八・和田誠・内館牧子・真田広之・富田靖子等々)。

 

 

因みに盛岡市内には未だにイオン・東宝等々のシネコンが存在せず、地場の会社が経営を行っている映画館のみが存在しています(複数のスクリーンを所持している館は存在しています)。

 

 

全盛期には映画制作/配給会社の直営館・洋画専門館等々、大凡10館が500メートルに満たない道路(と記憶をしています)の両側に犇き合っていましたが、現在は他の都市と同様、様変わりしてしまいました。それでも、この地に存在するバス停留所や交差点には現在も「映画館通り」の名称が残されていますし(バス停留所は旧・盛岡東映前)待ち合わせ等々の際に「映画館通りの●●(コンビニ名等々)」と言えば殆どの市民・出身者等々が解る程浸透している名称です。

 

 

 

 

 

 

そして、旧名称「盛岡日活ビル」ですが、映画部門は別会社が現在も運営を行っていて、テナント街には「盛岡酒場 ニッカツ」と名付けられた居酒屋が在り、行った事が無い為「食べログ」で調べた所立ち飲み屋!

 

 

これは行ってみたい!