坂田三吉の生涯を描いた戯曲の三度目の映像化!東映東京「王将」三國連太郎/淡島千景・伊藤大輔監督 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、おはようございます。

 

 

夏季休暇最終日、一昨日からの不安定な天気は何処かへ吹っ飛んだ上に不快指数の低い快適な朝ですが、日中は残暑の厳しさを感じさせる予報となっています。

 

 

 

さて本日は「破天荒な棋士」として未だに言い伝えられている坂田三吉をモデルとした北条秀司原作の戯曲の「三度目の映像化作品」を紹介します(因みに俺は昭和23年の大映制作/阪東妻三郎版・昭和30年の新東宝制作/辰巳柳太郎版・本日紹介する作品の翌年に当たる昭和38年の東映東京制作/三國連太郎版の続篇は未見、昭和48年の東宝制作/勝新太郎版と本日紹介の作品のみ鑑賞済みです)。

 

 

尚、坂田名人に関しては「阪田三吉」で記載されている事も多いのですが、当記事では作中の役名に従い、以降も「坂田三吉」で記載致します。

 

 

 

「王将」(「王将シリーズ」第一弾)昭和37年11月23日公開・北条秀司原作・伊藤大輔脚色/監督兼任・東映東京制作。

 

 

VHS/DVD化作品で、TSUTAYA TV/YouTubeムービー内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

●東映公式・YouTubeプレビュー動画

 

 

 

 

 

 

当作品と、その前に制作されている二作品は「制作会社と主演を始めとする配役陣が違えども、三作品全てが伊藤監督の脚色と演出によるもの」(但し、新東宝版は共同脚色)であり、伊藤監督にとって「王将は天職かつ、生涯の人生を捧げた作品だった」のでしょう。

 

 

そして「この頃の東映の様子」について、ウィキペディア内「王将(1962年の映画)」より一部を抜粋して掲載します。

 

 

 

「東映名作路線」は「過去に映画化された名作を新しい観点で再映画化する」と云う試みだったが「旧来の再映画化と云うだけでは中年層の客しか吸引出来ない」と、この路線の芯になる物を打ち立てようと模索した。「王将」の伊藤監督は「勝負師としての坂田三吉を描くとに共に、妻子との微妙な人間感情に相当に力を注いだ」と話した。「東映名作路線」は「王将」の後「無法松の一生」が第二弾で、村山新治監督は未亡人に対する主人公の恋情を正面に押し出した。続く「海軍」は昭和18年制作の松竹版が「男同士の友情に主眼点が在った」のに対し、東映版は「戦争中の若い男女の愛情」を大きな主題とした。「馬喰一代」は「東映名作路線」の延長の試金石として制作されたもので「三国連太郎・新珠三千代の愛情に重きを置く事」になった。当時の東映東京撮影所所長であった岡田茂・前東映名誉会長は「メロドラマは弱いと言われる東映に在って、人間愛の追究をこうした形で強調しようと心掛けて来たのだ。これは旧作そのままの再映画化の場合だけではなく「人生劇場・飛車角」等々の企画についても言える。「飛車角とおとよの愛情を通じて、人間的な情愛を強調した所」に新しい狙いが有った。そして近い将来、東映の現代劇は名作路線を延長して「人間愛路線」を確立し、他社のメロドラマや純愛物に対抗して女性観客動員に役立つ様になるだろう」と話していた。「東映任侠路線の魁」になった「人生劇場 ・飛車角」や東映女性路線の魁」になった「五番町夕霧楼」はこの名作路線の新しい観点での再考」とい云う発想から生まれた物と見られる。又、岡田は昭和30年代後半から「極端な男性路線」を敷くが、昭和38年当時は「松竹・東宝・日活が強かったメロドラマや純愛物に対抗した女性路線と云う考え」も持っていたものと見られる。

 

 

 

草鞋職人としての職務を放棄して迄も将棋に没頭し続ける「坂田三吉」こと三國連太郎…しかし「その生き様」が遂には妻(淡島千景)・実娘(幼少期・岡田由紀子→成人期・三田佳子。尚、岡田さんは劇中のナレーションを兼任されています)による親子心中未遂に迄発展してしまったものの「好きなだけ将棋をしてもいい!その代わり将棋のみで食べていける玄人になって欲しい!」と淡島さんは決断!

 

 

その後、連さんは破竹の勢いで名声を高めて行き、約束通り「将棋のみで食べて行ける生活」を実現させましたが、或る大勝負の展開について、三田さんから苦言を呈され常軌を逸する事態になる事も…

 

 

 

 

 

 

そんな折「名人位の継承問題」が噴出し、連さんは「東京在住の名棋士」平幹二郎に圧勝していたものの「読み書きも出来ず、知性・教養に欠ける」と云う理由でヒラミキさんが優勢…それに対し「将棋は学問や経歴で指すものなのか?」と怒りを露にした連さんでしたが、丁度その頃、淡島さんが病に倒れ床に臥せてしまう事態となり…

 

 

 

 

 

 

「伊藤監督が手掛けられた先の二作品」が未鑑賞ですし「当作品制作時の伊藤監督の心情や撮影現場での様子等々を可能な範疇で調べたものの詳細は解らなかった」のですが、一度鑑賞すれば「名画・傑作」と誰もが思うでしょうし「伊藤監督にとって三度目の映像化=過去に出来なかった事・悔やんだ面等々を再構築しながら仕上げたであろう熟成の極みと言える作品なのかもしれない」と、私感ではありますが想像をしてしまいます。

 

 

俺の周囲でもそうなのですが「勝新のカリスマ性」「常軌を逸した役柄は勝新に似合うと云う見方」等々に影響されてしまう為なのか「東宝版・王将」を高く評価する声が多いですが(勿論、俺も勝新は好きですし、役者としても制作者としても非常に優れた感性の持ち主だとは思っています)鑑賞済みの「王将」二作品を比較してみて、俺は「常軌を逸した際の精神の不安定さを見事に演じ切った姿・名人位に対する自身が導き出した結論を語る場面・淡島さんに対する無限の感謝と愛情を伝え、同時にヒラミキさんに対しては最上の敬意を払った終幕の奥深さと素晴らしさ」で連さんに、そして「伊藤監督の「王将」原作作品に賭けた想いと軌跡が、先の作品が未鑑賞であったとしても心にズシリと響き渡る東映版・王将」に軍配を上げます(下記の写真は昭和38年の東映東京制作・佐藤純彌監督・三國の連さん主演「続・王将」のものです)。

 

 

 

 

俺自身「将棋は駒の動かし方が解る程度」ですので「勝負の展開」等々は本作品に於いても珍紛漢紛…それでも「将棋及び坂田名人に対する知識の有無」を問わずに観賞出来る点は非常に美点!

 

 

そして、当作品が公開された当時は「金の卵と持て囃され、中学卒業と同時に各地に就職をしながらも、志半ばで挫折する若者が多かった時代」(これは現在に至る迄、姿形を変えながら変わらぬ点ではありますが…)「将棋は学問や経歴で指すものなのか?」と怒りを露にした連さんの台詞は「当時の現実の社会に対する多くの若者達の心情・苦言を代弁したのかなぁ…」と感じ取る事が出来たと同時に、伊藤監督は作品を通じて「どんなに小さなことでもいいし、自己満足でも構わないから「この事に関しては誰にも負けない!」と思う物を必ず一つは持つ事が重要であり、納得が行く迄突き詰めて結論を導き出す生き方を教えようとしたのではないか?」とも。

 

 

事実作中での連さんは「追い込まれる所迄自身だけではなく周囲をも追い込みながらも自身の生き方を認めさせ、不平不満に対しては納得が行くまで考え抜き、結論が出てからは四の五の言わずに素直にライバルを称えたり家族に感謝を伝える行動に転じている」のですから「主題は将棋そのものではなく、これ等の人間ドラマであり、他の作品群と同様、社会人の教科書として現代は勿論、今後も観続け伝え続けて行くべき名画の一つ」と言い切ってもいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

他には、村田英雄(主題歌も担当されています。勿論、名曲「王将」)・千葉真一・神田隆・殿山泰司・花沢徳衛・河合絃司・香川良介・岡部正純・相馬剛三・杉義一・赤木春恵・谷本小夜子…そして「三悪追放協会」の菅原通済会長が出演をされています。

 

 

 

最後に「三國の連さんの娘役の幼少期と劇中のナレーションを兼任された」岡田さんの経歴を調べてみたのですが「昭和60年代迄女優・声優として活躍をされていた事」は判明したものの、検索を行うとアイドル歌手であった「岡田有希子」を筆頭に「同姓同名の現役の芸能人や幸福実現党の選挙候補者」等々と一緒に出て来てしまう為に詳細は解りませんでした。