大阪・千日前の復興利権を巡る死闘!東映京都「男の勝負」村田英雄/天知茂。そして訃報・名和宏。 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

●この記事は平成30年6月27日(水)17:00頃に加筆・一部修正の上再更新しています。

 

 

 

皆様、こんにちは。

 

 

休み二日目、昨日の「真夏の晴天」から一転、降雨に見舞われており「梅雨らしい光景」となっております。

 

 

 

さて本日は、村田英雄が主演を務めた「東映仁侠映画の一シリーズ」の初作を…

 

 

 

「男の勝負」(「男の勝負シリーズ」第一弾)昭和41年7月1日公開・紙屋五平原作・鳥居元宏/中島貞夫の共同脚本・マキノ雅弘監修・中島貞夫監督。

 

 

未VHS/DVD化作品ですが、Amazonビデオ/YouTubeムービー内に於いて有料動画配信が行われており、東映ch内に於いても複数回の放映実績が有ります。

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

●東映公式・YouTube予告動画

 

 

 

 

 

 

併映作品は「海底大戦争」(福島正美原案・大津皓一脚本・佐藤肇監督・千葉真一主演・東映東京制作)。

 

 

DVD化作品で、DMM.com/iTunes/ビデオマーケット/Amazonビデオ/バンダイch/YouTubeムービー内に於いて有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

●東映公式・YouTube予告動画

 

 

 

 

 

 

「公開当時の看板番組であった東映仁侠映画と、この後テレビドラマ作品を中心に隆盛を極める東映特撮作品との組み合わせ」も非常に面白い、魅力的な番組構成です。

 

 

両方共「お薦め作品」ですが、やはり俺は「特撮作品よりも遥かに任侠映画が好き」ですので、より推したいのは「男の勝負」です。

 

 

 

もしかしたら「親子連れ・男女連れ等々、どんな方々が来館されたとしても或る程度満足して貰える様な番組構成」「館主側の誘客対策の負担を軽減しながら動員を容易に増やす、試験的な一面」も有ったのかもしれません。

 

 

しかし「同様の番組構成」は調べてもこの後は有りませんので、結果に繋がらなかったのでしょう。

 

 

 

この先からの文面は、一部を中島村長の自著「ワイズ出版映画文庫 遊撃の美学・映画監督中島貞夫(上巻)」より引用します。

 

 

 

この作品「監修・マキノ監督/監督・中島村長」となっていますが、これは当初、マキノ監督が演出を予定していたものの急病で入院…しかも当初の見込みより治療が長引く事となり「監督代行」として先に現場に入っていた中島村長が「マキノ監督に頭を下げられ、マキノ監督のタッチを踏襲して完成させた作品」。

 

 

「社内の抵抗勢力の一翼を担っていた上に「反任侠」であった中島村長らしからぬ仕上がり方」となっているのはこの為ですし、当作品の演出が切っ掛けで「任侠も出来る!」となり、この後「任侠映画の演出」を数作品に於いて手掛ける事にもなります。

 

 

 

「手取り足取り教えなければならなかったが、本当に人が良く可笑しな人だった村田英雄」「役者としての勘が良く、身体も良く動いたし、非常に男らしくて(中島村長が)大好きな北島三郎」が共演しています。

 

 

「素材としての面白さが有るし、二人共に大物振らない」とも評されています。

 

 

 

 

 

 

 

明治時代の大阪を舞台に、明治維新前は刑場であった千日前の復興の利権を「日本一の歓楽街にしようとするムッチー・天知茂」と「日本一の女郎屋街にしようとする天津敏」が争う物語。

 

 

ここに「ムッチーの親分で女房(松尾嘉代)の実父でもある沢彰謙が、馴染みの芸者に産ませた実子でろくでなしの林真一郎を突き放していた事」を敏さんが利用し、一時的にムッチーと天知さんの関係に罅を入れてしまうものの、手打ち式を境に更に強固な兄弟分の間柄を形成。

 

 

しかし、敏さんが黙っている筈は無く、数年の時を経て「決着の日」が訪れる事に…

 

 

 

「非常に剽軽な一面を見せながら、いざと云う場面では「眉間に皺を寄せ凄む」天知さん」「天知さんへの「内助の功」を、色気より度胸で見せた南田洋子」「南田さんを通じて、可愛い元子分の天知さんを陰から支えていた中村竹弥」「マキノ監督の筋で出演したと中島村長は言っているものの「遺骨を粉にして薬と称して売る!」「寄付した公衆便所の糞尿を金に換えようとして、盗難に遭うと恥も外聞も無く交番に駆け込む!」等々の「独特の面白可笑しさ」を見せた長門裕之・藤山寛美」「ムッチーの一家に世話になった高倉健と藤純子(現・富司純子)の「恋の経緯」とその結末…それは「人生劇場・飛車角」の宮川に、おとよの「変形版」を抱き合わせた演出」「最初は誰が誰だか解らぬ風貌だったサブちゃん」「実子でありながらも冷遇され、婿養子のムッチーにばかり目をかけ後継者として目されている事にふて腐れる林さんと「感謝と申し訳なさ」の狭間に立たされ苦心するムッチーの対比」「事を静観し、内部崩壊の切っ掛けを作り、更に有力者の後ろ盾を得て、目的に達した時点でサワショウさん・林さんを親子諸共葬る安定した極悪ぶりを見せた敏さん」等々芝居に関しては決して起用とは言えなかったムッチーを、脇から名役者陣が固めて観応えの有るの物語を形成したと感じさせてくれます。

 

 

 

村長は「脚本構成には時間をかけるが、書き出すと早い。それが「脚本の計算」。「何処を切って場面として繋いでいくか?切った場面は何処で内容は何なのか?」それがきちんと出来ないと脚本の面白さが出て来ない。喋り過ぎ(喋り不足)云々は現場で即座に対応が可能」「語り口は何か?どう云う視点で物語を見つめて行くか?主人公の視点の場合も有れば周囲の視点の場合も有る。それが決まると語り口が自ずと決まる」「キャラクター同士をぶつけるのはこれ等が終わってからの事。そうする事でキャラクターが鮮明になるし衝突する事は最初から決定しているのだから「果たしてこれが正解なのか?」を見て行く事が出来る」と仰られています。

 

 

成程なぁ…東京大学在籍中の「ギリシア悲劇研究会」の経験に加え「助監督時代の修業」で様々な事を吸収し、自らも多方面から知識等々を得て、しかもそれを生かして「自らの仕事の基本骨格」として早くも確立したからこそ、中島村長は「思考等々に合う・合わない」「時間の余裕の差異」(因みに当作品は「早撮りのマキノ監督が現場復帰する事」を見込んで中島村長は「任せられた場面」に時間をかけてしまい、監督代行を命ぜられた時には相当の時間を消費してしまっていた為、何度か徹夜もしたのだそうです)等々に関わらず遣って来る事が出来た要因なのだろうと思いました。

 

 

「任侠映画の一作品」としてだけではなく「中島村長がそれ迄学んで来て構築した基本骨格の一面が、好きではなかった任侠映画だからこそ見え隠れし、その力量を存分に堪能出来る一作品」とも言えます。

 

 

そこに、以前も書きましたが、脚本家の笠原和夫が自著内でお話しされていた「美空ひばりの使い方…お嬢を素材として扱う面白さは「どう云う内容の芝居をどう演じさせるか?」ではなく「出方とその際の衣装や前後のメリハリ」等々「パッとオーラを発散させる事」。一枚看板で大スクリーンを支えられる存在だったし、お嬢が出るだけで画面が明るくなり「お嬢の顔さえ見られれば物語の詳細云々等々は関係無い!」が観客の気持であったから」を、当作品を監修された「お嬢の主演作品に数多く関わった一人=笠原先生の意思を見抜いていなかった筈は無いであろうと思われる」マキノ監督はムッチーにもそれを生かそうとした事が解りますし、中島村長も「その意思」を見事に読み取り、映像に焼き付けています。

 

 

これ等から判断すると、当作品は明らかに「主人公を取り巻く周囲の視点から描かれた任侠映画」です。

 

 

そして「マキノ監督のタッチで仕上げた」と云う事は確かですが、終盤で殴り込みを決意したムッチーと天知さんが、サワショウさんの遺体の前で「人生最大の怒りに任せて思い切り匕首の封切に至る姿」「侠客の美学を継承し、それを全篇に渡り醸し出す様に演出されて来た従来の東映仁侠映画の主演の人物像に対する中島村長の細やかな抵抗感」を感じる事が出来ましたし、これは「主演が歌手のムッチーと、フリーの天知さんだからすんなりと受け入れて貰えたのではないのかなぁ」と考えました。

 

 

 

他の出演者は、二宮ゆき子・品川隆二・楠本健二・小島慶四郎・有川正治・国一太郎・脇中昭夫(現・堀田眞三)・加賀邦夫・那須伸太朗・蓑和田良太…そして「東映京都撮影所の刺青師」毛利精二と「天知さんの住み込みの付き人」でもあった宮口二郎です。

 

 

 

●加筆はここから

 

 

今朝、相互読者さんからコメントを頂き、Twitterでは既に情報が存在はしていたものの「誤報の可能性が払拭出来ない。間違いである事を信じたい」と強く願っていましたが、本日16時過ぎにスポーツニッポンのウェブサイト内に於いて「名和センセイ」こと名和宏氏の訃報が報道されました。

 

 

享年85歳。

 

 

 

※スポーツニッポンの記事は此方から

 

 

※東映ch「訃報 俳優 名和宏さん」は此方から

 

 

劇場公開作品・テレビドラマ作品双方に於いて「欠かせない役者陣の一人」であった上、特にその中でも大好きだっただけに「俺を含め、人間誰しも必ず訪れる事。しかもご高齢だから…」と覚悟はしていましたが…心に大きな穴が開いてしまいました。

 

 

下の写真は「名和センセイの善人芝居では指折り」であった「博奕打ち・総長賭博」の一場面です。

 

 

 

 

 

 

これ迄数多くの名演で我々を時にはお笑いさせ、時には手に汗を握らせ、またある時は非常に心が温まる芝居を多数見せて下さった事に心から感謝すると共に、ご冥福をお祈り致します。

 

 

天国ではお身体をゆっくり休められると共に、落ち着きましたなら旧友の方々と再会を果たし、再び名演で観客の皆様を頷かせる活躍をされる事を切に願っています。