佐藤純彌の初監督作品で岡田会長が右翼と喧嘩!東映東京「陸軍残虐物語」三國の連さん/中村嘉葎雄 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

休み最終日、9時半に目覚めると既に自家用車の屋根に10センチ程の積雪となっていましたが、ここ数日間の中では暖かい方で過ごし易い事は有難いですし、雪寄せを行わなくても今日の分の積雪は比較的早めに消えそうな感じがしています。

 

 

実は、二時間程かけて書いた文面が何故か一瞬にして消去されてしまった為(原因不明)大変申し訳ありませんが本日は簡単に済ませます。

 

 

 

さて「社会派作品」を主体として活動をしていたものの大入りとなった作品が一本も無く(但し「当時から一部の評価が高かった作品」「後に評価を得た作品」は無数に存在しています)「日本一最低の撮影所」と檄を飛ばし、古参監督を一掃し、新進気鋭の監督を起用する大鉈を振るっていた当時東映東京撮影所所長であった岡田名誉会長。

 

 

この「大鉈」により監督に昇進したのは、サクさん・鷹森監督・佐伯孚治…そして、本日紹介する作品で「初演出」を務められた佐藤純彌等々。

 

 

 

岡田名誉会長と、岡田会長と同期の統括が提出した企画を採用し「東映ギャング映画路線」「東映仁侠映画路線」に続く「東映戦記映画路線」を、この作品を切っ掛けに確立しようと目論んだそうですが、岡田会長が命名した作品題目に反発して右翼団体や学生ヤクザが東映本社に抗議に押しかけ「何だこの題目は!そんな馬鹿な事が有るか!責任者出て来い」となり、岡田会長が軍隊上がりの社員数名を引き連れ応対!(「一映画会社の撮影所所長が喧嘩なんて…」と思われる方々も多いでしょうが「やくざと対等に張り合える上に、やくざ組織の幹部と間違えられた際は或る組織の組長が尻込みして引き返し「撮影所に本物のやくざを呼ぶな!」と苦情を貰った事も有るカツドウヤ!」「労働争議の際、単身で交渉に乗り込みロックアウト宣言のみで組合側を一瞬にして鎮静化させた経営者!」等々の逸話がある岡田名誉会長らしい行動です)

 

 

岡田会長は「馬鹿な事は何ですか!貴方軍隊の経験が有るんですか?我々は皆軍隊経験者ですよ!」と言ったものの「いや、そんな事は在り得ない!」「在り得ない事は無い!これは実話!」等々の言葉を遣り取りしながら遂には喧嘩に発展!

 

 

結果「今後この手の作品は作らない」と云う条件で手打ちとなり、この事により「戦記路線」は当作品のみで終わりました(この後、昭和42年から東映東京/東映京都双方が手掛けた鶴田のおやっさん主演「東映戦記作品シリーズ」が存在しますが、此方は大川社長の企画である為全くの別路線となります)。

 

 

 

「陸軍残虐物語」昭和38年6月14日公開・棚田吾郎脚本・純彌監督・東映東京制作。

 

 

VHS/DVD化作品で、YouTubeムービー/TSUTAYA TV内で有料動画配信が行われています。

 

 

「残虐」の言葉に引っ掛かって来た様です。

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

●東映公式・YouTube予告動画

 

 

 

 

 

 

 

 

「警視庁物語シリーズ」第二十二弾「警視庁物語・全国縦断捜査」と共に公開されています(長谷川公之脚本・飯塚増一監督・東映東京制作。未VHS/DVD化作品ですが、GYAO!ストア内で有料動画配信が行われています。俺は未見です)

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

一言で纏めるとするならば、ウィキペディアに「最も簡潔かつ、最も皆様に当作品の神髄をお伝え出来る言葉」が有りましたのでそれを引用します。

 

 

「天皇の名の下に絶対服従を強いられ、人間性の喪失が唯一の逃げ道だった大日本帝国陸軍内務班を舞台に、皇軍の美名の元に行われた数々の残虐な行為を克明に描いた作品」

 

 

 

「生真面目だが不器用で鈍感な三國の連さん(右)・数々の美名を隠れ蓑に連さんを甚振る狂気の西村黄門様(左)」の対比が、下の写真から即座に感じて貰えると思います(写真後方左側は岡部正純・右側は不鮮明である為判別が付きません)。

 

 

 

 

 

 

 

「飴と鞭」「寝取られ女房」「嫉妬と虚実」「虚栄心と虐待」等々「悲劇に至る迄の数々の非人道的な行為」が克明に描かれて行きますが、要は「主要登場人物の全員が、この戦の犠牲者である」が結論。

 

 

「現在と過去の同時進行」で描かれて行く流れも「悲壮感を一層引き立てる効果」をより高めています。

 

 

公開当時の「残酷作品の大流行」に目を付けた「岡田会長の企画能力と観客目線に即した対応能力(但し、興行成績は今一つだった模様です)」「棚田先生の優れた物語の構築能力」に助けられた部分も否めないものの、初演出作品で一部の観客や識者から絶賛された純彌監督。

 

 

三國の連さんも生前「純彌監督の最高傑作では?」とお話をされていた模様です。

 

 

「いい意味で鈍感な、淡々と撮り続ける職人監督」とも言われ、事実書籍等々の対談に於いても「いい意味でいい加減な面が有る事」が伺えますが、だからこそ「統括や脚本家の真意を素直に受け止める事が出来て、無難に普通の感覚で演出が出来、幅広い観客・視聴者に適応し支持を貰える作品を送り出した実績に繋がった」とも言えそうです。

 

 

但し「農村に残された家族の描写」に関しては、大東亜戦争中に山形へ親類疎開をした経験を持つ純彌監督の「実体験」も或る程度生かされているのではとも考えました。

 

 

 

「連さんの人柄に惹かれる上官の中村嘉葎雄(当時は中村賀津雄)」「狂気そのもののの姿を、一切の手抜き無く見せ付けた西村黄門様」「私利私欲に走った結果が自らを滅ぼす結果となった江原真二郎」「残された家族の建前と真意を見事に演じ切った名優・加藤嘉と沢村貞子」「献身的な連さんの女房ながらも、毒牙にかかった事で生きる希望を無くした岩崎加根子」「実際に軍務経験を持っていた多数の役者陣が見せた本物とほぼ同様と思われる雰囲気」等々が見所となるでしょう。

 

 

 

他の出演者は、織本順吉・中山昭二・亀石征一郎・大村文武・玉川伊佐男・滝川潤・安藤三男・南道郎・相馬剛三・今井健二・楠侑子等々です。

 

 

 

最後に、先日も書いた事ではありますが、サクさんは「東映は変に根っこが明るく、根幹の所で「色々な事が有るのは仕方が無いぞ」と受け止めている特殊な体質が有る。他社ではこうはいかない」とお話をされ、同席していた先日ご逝去された沢島監督も同調し「東映が一番いい。こんなに働き易い所は無い」と付け加えて居られました。

 

 

この「東映の基本姿勢」「ワンマン経営者としては極めて稀な、誰からも慕われ愛され絶大の信頼を得ていた岡田名誉会長の、相手が右翼であろうがやくざであろうがサツであろうが、制作関係者に観客目線第一の作品を制作させる為であれば、例え猛烈な非難を浴びようとも自らが壁となって守り抜く確固たる信念が有ったからこそ、現在に至る迄多くの方々に愛される映像作品を無数に生み出した理由の一つ」と言い切ってもいいと思います。