問題の起因を住民側に持たせた大映東京「大怪獣空中戦・ガメラ対ギャオス」本郷功次郎/上田吉二郎 | 東映バカの部屋

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東映制作作品を主体として書いていますが、たまに他の話題も…一人でも多くの東映ファンが生まれる事を望みます!

皆様、こんにちは。

 

 

休み最終日、見事に晴れ上がりましたが、その代償に日中の寒さが例年並みとなったしまいました。

 

 

さて本日は「大映制作作品」から。

 

 

今回の休日の更新は「映画ブログ」に転換以降初めて「東映制作作品が無い」となりますが、たまにはいいでしょう。

 

 

当時、大映の骨格を支えていた一人で「文芸映画志向が強かった」と自らお話しされていた本郷功次郎は「このシリーズへの出演依頼が有りそうだ」と察した時、知人の医者を呼んだ上で「重篤な状態」と仮病を使ったものの「回復する迄待つから」と言われ、出演に至った事を「多くの役者が逃げ回った中で私一人だけが捕まった!」と、面白可笑しく懐古していたそうですが、晩年には「このシリーズが代表作の一つ」ともお話をされています。

 

 

そして、テレビドラマで人気を得ながらも「五社協定の事項と永田ラッパの意向=人気の有る役者はテレビドラマよりも劇場公開作品が優先」に振り回され「脇役として飼い殺し」された上に自ら命を絶ってしまった丸井太郎の「最末期の出演作品の一つ」でもあります。

 

 

 

「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」(「ガメラシリーズ」第三弾)昭和42年3月15日公開・高橋二三脚本・湯浅憲明監督・大映東京制作。

 

 

VHS/DVD/ブルーレイ化作品で、Amazonビデオ/ビデオマーケット/GYAO!ストア/バンダイチャンネル/YouTubeムービー内で有料動画配信が行われています。

 

 

 

 

 

 

 

※KINENOTEの作品案内は此方から

 

 

 

この作品を初めて観たのは、記憶が曖昧ですが30年程前、郷里の盛岡の民放局が年末年始の深夜に放映した時だったかと…その頃は映画は「観られさえすればいい」と云う考えだった上に「世間の物事も過去の出来事も…ありとあらゆる物事を知らぬ餓鬼そのものの時代」でしたから「怪獣映画はやはりこんなものなのか。ゴジラがガメラに入れ替わっただけ」としか思いませんでした。

 

 

役者に関しても当時は「特捜最前線」を観ていた関係で本郷さんを知っていた程度。

 

 

 

しかし、去年chNECOで「ガメラシリーズ一挙放映」が行われ、当作品も再鑑賞しましたが「ガメラとギャオスの死闘」よりも物語に大きく引き込まれた切っ掛けとなったのは「本郷さん率いる人夫達と、上吉さん率いる地主側の対立の構図の描き方」。

 

 

高速道路等々の建設に必要な用地買収等々を題材とした作品群では、俺の記憶に有る限りでは「ガメラ対ギャオス」以外は全て「国・買収業者とその手先の暴力団が圧倒的に強く、地主は騙され安く買い叩かれたり、譲渡を拒否すると命の危険に晒される事も多々」等々の内容。

 

 

しかし当作品は「上吉さん率いる地主側が、買収価格の吊り上げを目論み悪戯に交渉を難航させている上、本郷さんが率いる人夫達は「請負業者」として発注主・地主双方の板挟みに遭い難儀している構図」となっており、この「強者と弱者の入れ替え」は単純ながらも「物語を面白くする上で絶大な効果」を発揮しています。

 

 

終盤近くになると、ギャオスの出現により「地価が下がった!これも「元は?」と云えばあんたが買収価格を吊り上げようとして我々をも巻き込んだ事が原因だ!」と上吉さんに食って掛かる住民達に「貴方達の為を思って遣った事。どうかその気持ちを解ってあげて」と頭を下げる娘役の笠原玲子、そして「じいちゃんを虐めるな!」と泣き叫びながら玩具を投げつける孫役で「ガメラを慕う」阿部尚之…その玩具を拾う上吉さんの姿は、あらゆる作品で見せていた「腹の底からの大馬鹿芝居」とは一線を画す「自省と家族の温かさへの最大限の感謝を同時に、台詞無しで見せた名場面」です。

 

 

そして上吉さんは「金に目が眩み、人として大事な事を忘れてしまった事に対する我々への怒りがギャオスの出現に繋がった」と結論付け「ギャオス壊滅作戦」の為に自ら所有する山林を無償で提供する事を対策本部に申し出る事になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

「子供に媚びを売らず、高度経済成長期/日本列島改造論と云う「美語」の陰に隠された現実に近い物語を絡め、元からの生態系を完全に無視した「人間のみの利便性・快適性等々を追い求めた事」に対する「自然の怒り」をギャオスに込めた作品」と言えそうです。

 

 

「生真面目ながらも仲間思いで血気盛ん」と云う様な役を遣らせると本当に本郷さんは上手い!

 

 

 

そして「言語不明瞭な、神経が数本切れた様な人物」の印象が強い上吉さんですが「人柄があふれ出る真摯な芝居を遣らせても上手い事」を是非皆様に知って貰いたいと願います。

 

 

 

因みに、ギャオスが名古屋を襲撃した際「中日球場」に市民が避難した設定となっていますが、この撮影は中日球場ではなく、大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の本拠地であった、今は無き東京スタジアムで撮影が行われたのだそうです。

 

 

そして「ギャオスの超音波メスで車を両断されながらも尚もこれを走らせ、特ダネに拘る新聞記者の場面」ですがこの「真っ二つになった自動車」は「東京モーターショーに出展されていたトヨタ自動車の内部展示用の車両」(E10系初代カローラ2ドア)を脚本担当の高橋さんが見つけてきて借り受け、左右其々の切断車体を戸板に載せ、補助輪を付けて走らせたそうで、湯浅監督によると「余りの記者魂に、ギャオスが「恐れ入りました」と頭を下げるシーンは公開時、劇場でも大爆笑だった」と。(中日球場と新聞記者の場面については、ウィキペディアより引用しました)

 

 

 

他の出演者は、北原義郎・村上不二夫…そして「道路公団開発局員役」として西尋子・後の賀川雪絵(現・賀川ゆき絵)の姿も見られます。

 

 

ゆき絵さんの父親は日活の俳優。昭和38年より芸能学院に在籍のまま大映作品に出演し始め、昭和41年度のニューフェイスとして正式に大映専属女優となります。しかし「或る監督による撮影現場での暴行未遂事件」が切っ掛けとなり一時休業。その後「妖艶な女優になる事」を決意し、フリーの立場で東映を主戦場として活躍する事になります。

 

 

 

そう云えば、ゆき絵さんは勝新の回忌法要で本郷さんと逢った時「ゆき坊は本当に変わらないなぁ」と声をかけて下さった事を「こちら特撮情報局」の対談内でお話をされていました。

 

 

そして、今月の東映ch「ピンスポ」の中で「言ってもいいのかなぁ…」と躊躇しながら話した事、周囲が大爆笑していました。

 

 

東映京都撮影所に出向いた際の定宿は、中谷一郎が「食事がいいよ」と言ってくれたことを切っ掛けに毎度利用していたものの女優陣が宿泊する事は珍しく、小池の朝さんや方正さん、文太さん等々と寝食を共にしていた為「非常に親しくして下さったし大好きな方々」と…

 

 

しかし、定宿から撮影所迄タクシーで向かう際、何度か文太さんが「ついでだから一緒に…」と同乗した事が有るものの「文太さんは先に降りてタクシーの料金を払ってくれなかった!」のだそうですよ!

 

 

 

最後に、この「ガメラ対ギャオス」は「俺が好きな怪獣映画」では二番目です。

 

 

一番はやはりこれ!「恐竜・怪鳥の伝説」

 

 

 

 

 

 

 

「本物のヤクザや警官よりも怖い東映京都の役者陣が恐竜等々に右往左往して自爆して行く姿に対し、腹の据わった恒さんと牧冬吉」「ボンクラ野郎の局部を熱くさせる沢野火子の水着姿」「出演依頼を出した経緯が知りたい諸口あきら」「乳首が拝める唯一の怪獣映画」等々である事を強調して「ゴジラがつまらなくなる位の面白さ!」と言っても、殆ど理解して貰えないのが極めて残念ですが(特に「生真面目な映画ファン」「特撮・動画ファン」からは見向きもされないか、散々な感想が大部分でした)人に何と言われようとも思われようとも、俺はこれが一番好きですしお薦めです!

 

 

「東映ファンの為だけに作られた怪獣映画」とも言えますが「それも大きな魅力」です。