ステロイドを点滴が終わってからも、1日50㎎内服してたので、副作用で夜になっても全然眠くならず、おまけにかなり躁状態になってしまい、A先生を度々質問攻めにしました。(笑)ネットで見つけた間質性肺炎を発症してからの余命2~5年の記事についてもA先生にこの認識で間違いないか問い詰めるように聞いてしまい、A先生にはご迷惑をかけてしまいましたが、常にどんなことでも真摯に答えていただき本当に感謝しています。余命については、どんなに早くても一年で亡くなることはないだろうと。。でも5年は持たないかもしれない。と教えていただきました。当時、一人娘が小学校3年でしたから小学校の卒業式も見れないかもしれないと涙してしまいました。でもまぁ、平均は平均でしかないから、自分にできることを精一杯やって生きれるだけ前を向いて生きてやろうと決めました。A先生にもあまり一喜一憂せずに焦らずいきましようと言っていただき、その通りだなと思いながら、でも血液検査の結果や肺機能検査の結果をみて一喜一憂してしまう自分がいて苦笑いの日々でした。
一ヶ月、丸々入院し、残念ながら酸素ボンベを連れて退院となりました。その後は二週間に一度の外来で経過をみながら、自宅待機。会社にも退院を報告し、今後の働き方について相談していただける話でしたが、人事課長のご都合がつかないようで放置されました。その間に酸素の流量を3Lにあげるようリハ担当のT先生と主治医A先生のご指示があり、upしました。その頃申請していた難病指定が認定され、金銭的負担がだいぶ減り、少し安心しました。労作時の息切れはやはり進行していて流量に4Lupの指示がありました。2ヶ月丸々休んだ頃、支店長より連絡がありやっと面談していただける話になりました。人事課長には今すぐにでも働きたい旨を伝え、ドライバーから事務に職種を変えていただけないかお願いしたところ、5/16より出勤の許可をいただくことができました❗
一ヶ月、丸々入院し、残念ながら酸素ボンベを連れて退院となりました。その後は二週間に一度の外来で経過をみながら、自宅待機。会社にも退院を報告し、今後の働き方について相談していただける話でしたが、人事課長のご都合がつかないようで放置されました。その間に酸素の流量を3Lにあげるようリハ担当のT先生と主治医A先生のご指示があり、upしました。その頃申請していた難病指定が認定され、金銭的負担がだいぶ減り、少し安心しました。労作時の息切れはやはり進行していて流量に4Lupの指示がありました。2ヶ月丸々休んだ頃、支店長より連絡がありやっと面談していただける話になりました。人事課長には今すぐにでも働きたい旨を伝え、ドライバーから事務に職種を変えていただけないかお願いしたところ、5/16より出勤の許可をいただくことができました❗