2026年は、罹患2年目の鬱病とパニック障害について自分の経験をまとめていきたいと思います。不定期更新となりますが、ご自身はもちろん、身近な方が心を痛めている方に読んでいただきたい内容になっています。
※自身の経験のみをまとめていますので、これがすべての症状、経緯ではないことをご了承ください。
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言われてもいないのに勝手に予測して不安になる
私が精神科へ通院を始めてから、立て続けに義兄ふたりが入院することになりました。夫の兄である義兄は夫が付き添いやら手続きやらやってくれたので私は何もしなくて良かったのですが、夫の兄が退院したかと思ったら今度は姉の夫である義兄が仕事中の怪我で入院したとの連絡が姉から入りました。
以前、姉の夫が入院した際には、その付き添いをしていた私。今回も姉からの連絡で付き添いを頼まれると思ってしまった私は、
「ごめん。付き合えない」
と告げました。まだ姉から何も言われていないのに勝手に予測して不安になってしまったのです。私の状況は姉にも伝えてあったので、
「大丈夫」
との答えにホッとしてしまいました。
私は、昔から先の先を予測する癖があります。それもその予測を何パターンか準備するんです。それが普通に出来ていたから、どんな状況が待っていたとしても慌てずに対処できていたのですが、この頃の私はひとつしか予測が出来ず、たいていその予測は自分自身を不安にさせるネガティブな予測ばかり。
勝手に予測して、勝手に不安になっていたんです。
でもこれは、鬱病の症状のひとつらしく、どうしてもネガティブなことを考えがちになる時もあるそうです。周りからしたら、
「なんでそんなにネガティブなことしか考えられないの?」
と不思議に思うほどです。でも、頭のどこかでは分かっているんです。自分がネガティブなことしか考えていないこと。
それでもどうしてもポジティブに変換できないからこそ、自分に苛立ちを感じるんです。
なので、もし精神疾患がある方がネガティブな発言をしても否定せず、聞いていてほしいんです。そして、一度は肯定した上で、
「こんな考えもあるよ」
と別の予測案を提示してほしいです。
これは、甘やかすわけではなく、自分でもどうにもならないくらい思考が乏しくなることを理解してほしいんです。本人はポジティブなことを考えたい。でもそれが出来ない自分を情けないと思っています。そこに頭から否定されたとしたら、さらに「自分という人間はダメな人間だ」と追い詰めてしまうんです。
本人は、その考えは間違っていない。そういう考え方もある…と捉え、周りはその考えを一度は肯定した上で別案を伝える…というコミュニケーションが患者本人にとって気持ちを軽くさせてくれると私自身の経験から感じました。
医師に当たってしまうこともある
精神科の医師は、多くの患者を診ています。
時に、患者が攻撃的にある場合もあります。私が通っている病院は予約制であっても待合室には結構患者がいます。その中には、ひとりで来られない患者もいて、待っている間も落ち着かない方もいらっしゃいます。
そして、私もそうなのですが、待つ場所を決めている患者もいます。「ここで待つのが落ち着く」という場所があるんです。しかし、当然ですが毎回その場所が空いているとは限りません。そんな時には気持ちがザワザワして、私の場合は「帰りたい」と思ってしまいます。
そんな時に自分の順番になり診察室に入った時には、ザワザワした状態で診察が始まります。
医師は、普段の様子を穏やかな口調で聞いてくれるのに、それに対して私はとてもトゲのある冷たい返事をしてしまいます。自分でも『どうしてこんな言い方してるの?』と頭では焦っているのですが、口から出てくる言葉が驚くほどトゲがある…
頭で分かってるのに、どうして穏やかに言えないのかと自分自身を責めてしまう…
失礼な態度をとっているのに、医師は変わらず穏やかに質問してくれるため、余計自分が器の小さい人間に思えてしまう。
この悪循環から抜け出せない時。本当に自分という人間がイヤになります。
罪悪感の中で診察が終わり、最後まで無礼を詫びることが出来ないまま診察室を出てしまう自分が許せないと自分に対する怒りで震えが止まらなくなったこともありました。
それでも、医師は「この患者の現状」としてそんな私のこともあたたかい毛布のように優しく包み込んでくれるんです。
こんな不安定と少し安定した状態を繰り返しながら、症状が落ち着いてくるのかもしれません。自分自身も闘っていますが、それを診てくれている医師にとってもその患者にとって少しでも症状が落ち着くにはどうすればいいのかを考えてくれる闘いでもあるのが、精神疾患なのかもしれません。
もう少し動きたい!何かいい方法はありませんか?と聞いてみた結果
精神疾患にはさまざまな症状があり、医師は患者に合うであろう薬を処方してくれます。思ったほどの効果がなければ別の薬を試して、その患者に合う薬を探してくれます。私も初診から現在の薬に落ち着くまでいろんな薬を試しました。
薬というものは、症状を落ち着かせるためのひとつの方法なので、これをやめられるには年単位の時間が必要だということは分かっています。しかし、もし薬の服用にプラスして何か方法があるならば、それも実践していきたいと考えた時、医師に「もう少し動けるようになるために何か方法はありませんか?」と聞いてみました。
医師からの答えは…
「心にゆとりを持つことですかね」
でした。う~ん…それが一番難しいのですが?だから薬を飲んでいるのですが?(というのは私の心の声でした)
でもやっぱり、精神疾患にはこの『ゆとり』という部分は本当に大事な治療法のひとつなんだと思います。
そもそもメンタルが不調を訴えている時って、ゆとりがなくなるほど追い詰められてしまう時。つまり、この『ゆとり』を取り戻せたら、症状は落ち着いてくるってことです。
となると、なぜゆとりがなくなったのかを考え、ゆとりがなくなった原因を取り除かなければ、回復して来ないということになります。しかし、残念ながら原因が分かっていてもそれが取り除けない人もきっと多いと思うんです。
私もそのひとり。
なので、私の場合、心にゆとりを持つために「やりたいと思ったことだけやる時間」を作ることにしました。
例えば、趣味の時間を1日の中に1回は入れておく…とか。
私は、鬱病になってから、大好きだったものが全部やる気がゼロになってしまいました。
仕事柄、物書きだけはどんなに調子が乗っていなくてもこなさなければいけなかった時期がありましたが、それ以外で新作を書いたりすることが出来なくなりました。
そして、歌うこと。軽いストレスならば歌って発散すればかなり高確率でスッキリしていました。
ところが、物書きも歌うことも「面倒くさい」と感じてしまう事態が私に訪れてしまったのです。これには自分でも驚きました。物書きをしている時には何も考えず、没頭できるのである意味現実世界から物語の世界に入り込めていたからその時間が好きだったんですが、まず入り込む世界を考えることが出来なくなってしまいました。
さらに、カラオケアプリ(ポケカラ)でいろんな方の歌を聴かせてもらうことが心を落ち着かせていたし、もちろん自分が歌って投稿したものを聴いてくれた方からのコメントなどにも励まされていたはずなのに、こちらも「面倒くさい」が発動。
一時期は、聴かせていただくことも歌うことも出来なくなりました。
自分が趣味だと思っていたことが出来なくなった時。心にゆとりを持つためにはどうすればいいのかを本当に真剣に考えました。
その結果、私の場合は、現実逃避…というか、「寝る」ことで現状をリセットすることがその当時は一番いい方法だと気付いたんです。
現在も「眠い時」には我慢せず寝ていますが、当時から比べるとその頻度は減ってきました。なので、今までの趣味で心が落ち着かない場合は、他に何か探してそれを続けてみることで心が落ち着く可能性は高くなると思います。あくまでも自分ファーストでいいんです。
