こんばんは
ご訪問頂きありがとうございます
昨日、せっかく買い物に行ったのに、買い忘れたものがあり、今日もまた買い物に行く羽目になってしまいました
少し前まで、買うものをスマホのメモに書いていっていたのに、最近はそれをしなくなって…
ちょいちょい買い忘れがあったり、ダブって買ってしまうことが多くなりました
(私もそんなお年頃なのかしら)
さて、タイトルですが、明日、父は転院することになりました。
これまでの経緯はこちらからお読みいただけます
先ほど、姉から連絡があり、父は、4/12に入院したあと、2回ほど誤嚥性肺炎になったそうです。
その際、肺に痰が入ってしまったようで、吸引しても取れないところにあるということで、これが悪さをして呼吸が苦しくなるそうです。
さらに、貧血や血尿も続いているようで…
こんな状態でも、今入院している病院では、これ以上入院させておけないということで、明日、予定通り療養病院へ転院することになりました。
当初は、姉が介護タクシーに同乗し、私が自分の車で療養病院に行き、帰りは姉を乗せて帰宅するということにしていました。
ところが、今日病院からは、
「介護タクシーには、看護師が同乗した方がいい」
と言われたそうで、明日は、看護師さんが同乗し、父の様子を見ながら、私たちは車で療養病院に行く感じになりそうです。
こんなこと言ったら行けないのかもしれないけど、こんなに危険な状態なのに予定通りの日程で転院させるのって、なんだか病院から厄介な患者は追い出すって言われているみたいな気分になります。
もちろん、これ以上治療法がないというのは分かってます。治療法がない、手術なども出来ないなら長く入院させられないっていう事も分かります。
でもやっぱり、なんだかなぁ…って気持ちになってしまいます
療養病院では、点滴や輸血、酸素などが必要な場合には、出来るようですが、その他の症状の悪化は処置が出来ません。
次に体調が悪化した時には、父の生命力だけが頼りになってきます。
母が他界した時には、母はすでに認知症も発症していて、朦朧としている日が多く、もしかしたら亡くなった時も朦朧としたまま逝ってくれたかもしれません。
亡くなった時には、辛そうな顔をしていたのに、その顔がみるみる穏やかになったのを覚えています。
息を引き取ってから、表情が変わるなんて思っていなかったので驚きました。
けど、父の場合。
現段階では認知症にもなっていないし、意識がもうろうとすることもありません。酸素が足りなくて苦しくなる時はあっても、意識がしっかりしている分、万が一のことがあったら、きっと辛いだろうなって思ってしまいます。
症状が悪化したとしても、意識がはっきりしているのに苦しかったら切ないです。
転院の話しが出た時の父は、まだ会話も出来ました。
なので、私たちも「また退院できるかもしれないね」なんて呑気に構えていました。
でも今日の病院からの話しを聞く限り、やはり奇跡は2度は起こらないかもしれないと覚悟しています。
母が他界してから6年。母もそろそろ父に逢いたくなったのかなと思うようにしています。
まだ危篤になっているわけじゃないけど、もう近い未来でそうなるような気がします。
おそらく、療養病院に到着して、病棟に父が行ってしまったら、もう簡単には生きている父に逢えないような気がします。
改めて、コロナ禍という現実がもどかしいです。
とはいえ、明日は早いスタートです。私は、坊っちゃんを置き去りにして、7時前には家を出て実家に向かいます。
【今日の感謝】
「大切な人が今日、急遽病院に行くことになりましたが、付き添ってくれる人がいました。いつも寄り添ってくれてありがとう」
(本文とは全く関係ないところでの感謝です)