宗教へのこだわり | しちふくのひとやすみ

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獣医師&獣医鍼灸師&レイキヒーラーである
しちふくの感じたいろんなこと

叔父が旅立ったと連絡をもらいました。


随分お世話になった叔父なので

お悔やみの気持ちを表したいけど

ちょっと困ったことがあります。




叔父一家は全員でキリスト教系の

新興宗教?に入っています。


私と同年代のいとこたちも

その宗教の活動をしています。


自分たちの信仰以外は一切認めません。


入信したとき以降、

仏壇のあるところには行けないと言って

実家にも帰省しなくなりました。


実の親が亡くなっても

きょうだいたちが亡くなっても

仏式の葬儀なので一切参列しません。


頑なに自分たちの信仰の殻に

閉じこもっています。


叔父一家みんなが幸せなようなので

それでも良いのかもしれませんが。。。




ハート




私は神さまは信じていますが

特定の宗教を信じることはしません。


私の個人的な考えを書きますね。


神さまは私たち人間を

導いてくださいます。


神さまの真理はひとつです。


でも、神さまが人間を導くとき、

人間の個性や環境に応じて

導き方を変えるのだと思います。


私たち人間が誰かに何かを教えるとき

相手に合わせて教え方を

変えることがあるのではないでしょうか?


例えば、子供に何かを教えるとき

褒めて伸ばす方が良い子もいれば

厳しく教え込んだ方が良い子もいれば

アメとムチを使い分ける方が良い子も

いるでしょう。


指導者側も指導の仕方にも

個性があるでしょう。


例えば

私立学校の指導方針はそれぞれ個性的で

校風として現れてきます。


だから、私たちは各学校の校風や

雰囲気などを比較検討して、

行きたい学校を選びます。


でも、子どもたちが学校で学ぶ内容は

基本的には学習指導要領に基づいていて

本質的にはそれほど違いません。




宗教も同じようなものだと思います。


神さまが人間を導くときも

時代背景や環境に応じて

導き方を変えたのではないでしょうか?


そのうち、それぞれの教えが

宗教という名前を持つようになり

それぞれ別物になったのでは

ないでしょうか?


挙げ句に、この宗教が良いだの

あの宗教は間違ってるだの

言い始める人間も出てきてるのでは?

しまいには戦争にまで。。



神さまの真理に違いはないのに

受け止める側の私たちが

些末な違いに拘っているのが

宗教というものではないかと思います。


宗教に拘りすぎず

穏やかに暮らしていけば

それが一番 神さまの想いに

近いのではないかと思っています。






しかし、現実問題として

叔父へのお悔やみはどうしたものか。。


困っていますショボーン






こんな風に穏やかに
安心して過ごせれば
神さまも喜ばれるはず



今日も皆さまが穏やかな
ほっこりした気持ちで過ごせるよう
祈っていますハート







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