終戦の日 | しちふくのひとやすみ

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8月15日は終戦の日です。

敗戦の日、であります。

今年は74回目の敗戦の日だそうです。

最近、こんな本を買いました。


水木しげるさんの「ラバウル戦記」です。

水木しげるさんは、ラバウルで従軍し、
米軍の攻撃により左腕を失いました。

私の亡父も、赤紙で召集され
ラバウルで従軍していました。

生前の父から水木さんのことを
聞いたことがないので、
違う部隊だったのでしょう。

でも、辛い経験をしたことに
代わりはないと思います。

父の部隊の同僚たちの大部分は
塹壕に隠れているときに米軍の爆撃に遭い
亡くなったそうです。

父は通信兵だったので、
戦闘兵とは離れた場所にいたため助かりました。

父はラバウルでマラリアになり
生死の境を彷徨ったそうです。

終戦になったことも、
すぐには分からなかったそうです。

以前、父の部隊の記録簿を
見たことがありますが、
そこに書かれていた除隊の日付が、
同じ部隊の人たちより
2年ほど遅れていました。

戦争が終わって2年ほど経ってから
父が青森の家に帰宅したとき、
あまりにも痩せ細っていたため、
実の母親でさえ、
それが自分の息子であることを
信じられなかったそうです。

父は、ラバウルでの経験を
あまり多くは語らなかったため、
水木しげるさんの本を読んで
父を偲びたいと思います。


ダイヤオレンジ   ダイヤオレンジ   ダイヤオレンジ   ダイヤオレンジ   ダイヤオレンジ


私の亡母は、戦時中は東京にいました。

東京への空襲が激しくなったため、
命からがら故郷の青森に帰りました。

母が青森に帰って間もなく
青森大空襲がありました。

青森市の市街地の88パーセントが
消失したそうです。

母が防空壕に逃げ込もうとしたところ
母の父(私の祖父)が
「防空壕は危ない」と言って
郊外に逃げたそうです。

翌日、市街地に戻ったら
防空壕に逃げ込んだ人たちのほとんどが
蒸し焼きになって亡くなっていたそうです。

事実、青森大空襲の死者千人余の
84パーセントが防空壕で亡くなったと言われています。


ダイヤグリーン   ダイヤグリーン   ダイヤグリーン   ダイヤグリーン   ダイヤグリーン


父も母も、戦争という時代を
辛うじて乗り越えることができました。

この両親からつないでもらった命を
大切にしていきたいと思います。

世界が平和に包まれることを願いますキラキラ





 

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