昨日報告した渋谷の金王八幡宮さまと豊榮稲荷さまを参拝した後で氷川神社さまに伺いました。
金王八幡宮さま・豊榮稲荷さまから氷川神社さままでは歩いて10分弱でした。
渋谷駅からだと徒歩15分ほどだそうです。
氷川神社さまは渋谷区で最も古い神社だそうです。
日本武尊が東征した際に勧請されたのが起源と伝えられているそうですが、江戸時代に宝物殿が焼失してしまったため古い記録が残っていないそうです。
江戸時代にはすでに「いつからあるか分からないくらい古い神社」と言われていたそうです。
氷川神社さまの境内は木が生い茂り、都会の真ん中とは思えない静かな雰囲気でした。
虫取り網と虫かごを持った小学生の男の子二人とそのお父さんらしき3人連れがいて、なんだか昭和にタイムスリップしたようでした
拝殿の扉のガラスにも緑がうつっています。
威風堂々たる狛犬さんがいらっしゃいました。
境内にある厳島神社さまの狛犬さんたちがとても愛嬌のあるお顔をしていました。
氷川神社さまの御朱印をいただきました。
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いつもならここでブログ記事を終わるのですが、今日は終戦の日なのでもう少し書かせてください。
昨年の終戦の日の記事と重複する内容もありますが、ご容赦ください。
(昨年の8月15日の記事→「終戦の日」 )
20年ほど間に亡くなった私の父は、いわゆる「赤紙」一枚で戦争に駆り出されました。
送られた地は「ラバウル」。
パプアニューギニアにある、激戦地の一つとして有名な場所です。
父の部隊の戦闘兵は、ほぼ全滅だったそうです。
父は通信兵で、戦闘部隊と違う場所にいたため生き残りました。
しかし、マラリアに感染して生死の境をさまよいました
日本に帰ってきたのは、敗戦から1年以上たってからでした。
ガリガリにやせ細って帰ってきたため、実の母親(私の祖母)でも息子だと分からなかったそうです 。
私の記憶では、父は信じられないようなひどい頭痛で何日か寝込むことが年に何回かありました。
父は、この頭痛はマラリアの後遺症だと言っていました。
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10年ほど前に亡くなった私の母は、戦争当時東京に住んでいました。
東京が空襲に遭ったため、やっとの思いで生まれ故郷の青森に帰ったら、青森でも空襲に遭ってしまいました。
空襲のとき防空壕に逃げ込もうとしたら、母の父(私の祖父)が「防空壕は危ない」と言って山に逃げたそうです。
後で戻ってみたら、防空壕に逃げ込んだ人たちが「蒸し焼き」になって亡くなっていたそうです。
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父と母が戦争で亡くなっていたら、私は「しちふく」としてはこの世に生まれていなかったでしょう。
戦争は政治家や軍人の野心や見栄で行われるもので、庶民は犠牲になるだけだと思います。
戦争が生み出すものはマイナスエネルギーだけです。
どんな理由があっても戦争によって解決しようとしている間は、人間もまだまだ未熟な存在です。
修行したり、瞑想したりするような特定の人たちは高い次元の精神世界に入って行けるという人たちもいます。
「さあ、みんなで意識を向上させて高い次元に上昇しましょう」と呼びかけている人たちもいます。
その場合、残された人たちはどうなるのでしょう?
いつまでも戦争で解決し、憎しみの連鎖から逃れられないのでしょうか?
人類全体が精神的に成長し、憎しみが憎しみを生むような段階を卒業できるといいですね。
特定の人たちだけでなく、みんなが幸せになればいいなぁと願っています