フランスで起こった人質立てこもり事件は、犯人だけでなく人質も犠牲になるという悲しい結末になってしまいました
これらの事件の発端は新聞にイスラム教を揶揄するともとれる風刺画が掲載されたことでした。
自分たちが信仰している宗教と違うからと言って、他の宗教を揶揄するのもどうかなと思いますが、だからと言って何の関係もない人たちを犠牲にしてもよいということはないと思います。
あらかじめお断りしておきますが、しちふくは特定の宗教に帰依していません。
でも、すべての大元になる神、神道の神様たち、仏教の仏様たち、キリスト教の精霊や天使などと呼ばれる方々の存在は信じているし、敬いの気持ちもあります
ただし、自分自身でそれら霊的な存在を見たり、声を聴いたりする能力はありません。
あくまでも、ごく普通の人間です。
神道や仏教に関しては一般的な日本人としての知識レベルであり、キリスト教についてはちょっとしか知らないし、イスラム教についてはほとんど知りません。
でも、日ごろから宗教について思っていることがあり、今回のテロ事件のことを聞いて、自分の思いを書かせていただきます。
イスラム教では「聖戦で死ぬと天国に行ける」と言われていると聞きました。
ここでいう聖戦はイスラム教を守るための戦いということでしょうか
イスラム教だけが唯一絶対に正しい宗教であり、他の宗教はすべて邪教なので、イスラム教を守るためには、たとえ子供であろうが何であろうが邪教徒はすべて排除してよいのでしょうか
その排除の過程が聖戦であり、その聖戦で死ぬことは天国に行くことだから怖くない、ということなのでしょうか
すべてのムスリムの方がそこまで過激な考えを持っているとは思いませんが、過激派と呼ばれる人たちはそれに近い考えを持っているのでしょうか
イスラム教に限らず、唯一神を信じる宗教では他の宗教は邪教と考える方が多いのかもしれません。
新興宗教の中にも、他の宗教は絶対に認めないという考えのところもあるようですね
神は本当にそんなことを望んでいるのでしょうか
神は親に、人間は子供に例えて考えることがあるようです。
取りあえず親(大人)と子供の関係で考えてみます。
しちふくには子供が二人います。
男女の違いのせいもあるでしょうが、しちふくの子供たちは性格やものの考え方がだいぶ違います。
また、自分の子供たちの年齢が6歳離れているために子育て期間が長く、育児サークル、学校のPTA、地域の子供会などで大勢の子供たちに接してきました。
専門学校で講師として教壇に立っていたこともあります。
これまで大勢の子供たちに接してきた経験からすると、子供たちは本当に十人十色です。
家庭環境も、性格も、考え方もまるで違います。
子供たちに何かを説明しようとするとき、その子の特性に合わせて説明の仕方を変えないと理解してもらえないことが多いです。
本当に理解してほしい本質は一つなのに、ひとりひとりに合わせて説明しているうちに、説明の仕方がかなり違ってきます。
時には、子供たちがそれぞれ「自分の聞いたことが正しい そっちは違っている 」と言い張り合って、喧嘩になることもあります。
地域の狭い社会の中でも、そのようなことが起こるのです。
神が人間に真理を説明してくれたときも、それに近いものがあったのではないでしょうか
人間全体を見回すと、住んでいる地域や民族により、歴史も生活環境も習慣も全く異なります。
それぞれの人たちに同じ説明の仕方だけしても通じないので、それぞれの人たちにわかりやすいように噛み砕いて説明した結果、説明の仕方がそれぞれ異なってしまったのではないでしょうか
それなのに人間が、「自分たちが聞いた説明だけが正しい 」といって争っているのが現状なのではないでしょうか?
もうちょっと人間全体の霊格が上がって、「神の名の下に」起こる争いがなくなればいいなぁと思っています
八百万の神々を信じる日本に生まれ育ったから、どんな宗教でもお互いに認め合えばいいのにと思うのかもしれませんが、いつの日か、すべての人たちがお互いを尊重し合い、許しあえる世の中になればいいなと思っています。
宗教のことは、とてもデリケートな問題だと思うのですが、どうしても気になったので、あえて書かせていただきました