本来 人が存在して 家族が生じ 村が生まれて国となる。


 これを どちらが大事なのか?と 問うと とても難しくなる。


 愛する人 家族は これは何物にも代えがたい存在として 人が生きる上でなくてはならないものである。


 人 一人では生きていけない。生まれてきた人間は周りに存在する仲間を 人として守らなくてはならないことになる。


 守ると言うと それは食べて 生活して 子孫を残す。本能的な所業である。


 これが 厳しい自然であったり いつもと違う事象が発現したり 時には外敵に襲われたり 守ると言うことは多岐にわたる。


 中近東であったり アフリカであったり 厳しい自然を前に人類はギリギリのせめぎ合いをしている。


 しかし かなりの地域で 成熟した文明の恩恵に浴して 人は平和裏に暮らしている所も多い。

 

 そういう地域は 産業的にも軍事的にもバランスをとって 国を維持するのに国民の税金を使っている。


 日本はどうなのか?


 成熟していて豊かである。軍事力も 他と比較しても圧倒する力を持っている。外交的にもアメリカとの安保を結び安泰に見える。


 戦後70年 日本は平和憲法という「国のかたち」を世界で示し 国のレベルでも 個人のレベルでも世界に貢献して評価されれている。最近のテレビで「こんな所に日本人」と言う番組が多々あるが まぁ なんと沢山の日本人が世界の片隅で頑張り 地域の向上に貢献しているのか 涙なしには観ていられない。


 こういう個人の頑張りは 「国のかたち」が平和を旨とする憲法に守られているからこそ発現されていることだと思う。


 そんな中 支配層に当たる政治家や高級官僚達は 何かとイライラを募らせてきた。湾岸戦争時に1兆二千億円もの金を出していながら クエートの感謝広告に日本の名は無かった。クエートにいったお金は6億円だっとされる。少ないわなぁ!実は残りはアメリカにいっていたのだ。


 それだけではない 金だけ出しても人を出さねば意味がない。と世界的にも非難されてきた。


 これが日本の支配層にとって 歯がゆく苛立たしいことなのである。


 誇り高き日本人にとり 「身体を張れないのか?」と非難されたら そりゃぁ頭に来て当然であろう。


 保守系の人にとって近隣諸国の動向も気になるところ 言われれば言い返す やられればやり返す この流れが いまやネットの社会にあって氾濫するヘイトトークは止どまりようがない。


 ここで「普通の国」という言葉が登場してくる。世界は普通に軍備を持って強調し互いに外交的をもってバランスを取っていくことが通常である 普通であると。


 そうなると 世界のどこかで紛争が持ち上がれば みんなで一緒に戦争ができる形をもたないと 日本は世界で置いてきぼりにされてしまう。と考えるのだ。


 安倍晋三は岸信介の孫である。当然ながら同じ匂いがする。


 私が高校生の頃 「安保反対!」「岸を倒せ!」と高校生くらいの機動隊と足の蹴り合いをやったものだ。


 確かに「文芸春秋」や「中央公論」は買った。でも読んだ記憶がない。だから何故安保反対なのか全く解っていなかった。ただ 岸信介の風貌や態度 勝手な行動が 堪らなく嫌であった。上から目線で 「俺が日本を背負って立っているんだ」という偉そうでいて 小心者の動きが嫌だった。


 いま 安倍晋三は圧倒的な議席数を持って政権を担っている。バカな民主党が余りに未成熟な為 相対的に自民党に力を与えてしまったのだ。こうなると 安倍晋三は今がチャンスとばかり 色んな手を使って「普通の国」「戦争ができる国」にしようと 手続きを無視して突き進んでいる。


 岸と同じ。自分らの国なんだから 国民がなんと言おうと 早くやっちゃえ!とばかり きょう閣議決定するらしい。


 何故か閣議決定が憲法に優先するらしい。解釈と言う奴だ。


 私も含めほとんどの日本人は戦争の実体験は無い。当然身を持っての恐ろしさは解りゃしない。


 そんなことより 人間の誇りを強調する。


 「命をかけて国を守る」の議論の前にどんな議論も立ち向かえない。国を守るとは 町を守ることであり 家族を守ることなのである。


 それでも である。何か気に入らない。安倍晋三が気に入らないのである。


 やたらアベノミクスを振り回しているが やったのは黒田日銀総裁の金融緩和だけである。他は「言うだけ」 実質の規制緩和は抵抗のないところだけやって 実際は大企業向けの政策だけなのである。


 こんな時 時間をかけて国民的議論をすれば もしかすると 「普通の国」になろうとする意見が多いのかもしれない。


 ただ 勝手な上から目線の決定が気に入らないのだ。


 長州人の「勝手な思い込み」が気に入らないのだ。