大王と言うのか天皇と言うのか、飛鳥から奈良、平安と続く時代は韓流歴史ドラマと同じように王室内での駆け引きや騙し合い、そして殺し合いと凄まじい争いを起こしている。
どうも藤原不比等が「日本書紀」を編纂したことで、現代の人間にはどっちがどっちなのか真実は掴みずらいようなのだが..
それでも権力を支え執行していたのが、物部から蘇我に移り、藤原に移っていったのは確認できる。
大王とか天皇と言うものは、もうこの頃から錦の御旗になっていたのであろう。中大兄皇子などはなかなか天智天皇にならなかった。
この御旗をめぐってその後の日本の歴史は展開していくのである。つまりうまい汁を吸いつつ、権力を誇示できる御旗の周りに居座ることがいかに素敵なことで、生甲斐となる仕事が出来る場所になるのか、皆がこぞって求めていたのである。
卑弥呼の時代から日本の中では、お飾りを立て合議で物事を決める方式が是とされてきたようである。ただ、合議の中、何時の時代でもトップの権力を持つ人間が現れてしまう。いいことをやろうが、悪いことをやろうが、その後の歴史では暴君扱いされてしまが、権力争いはこのレベルで発生しているのである。
今の政治は見返りが少ないことで本気度が不足していて、災害に頼るか、外圧に立ち向かうか、このことでしか国民の関心を引きよせられない。
しょうがないのかなぁ?
勤勉な国民であるが故になかなか崩壊しない日本国であるが為、活力に満ち戦闘的な人間を育てられなかった現状をどう評価するか?
輿石みたいな日教組上がりの幹事長が党派をまとめるだけの仕事にまい進し日本を動かしてしまうことに非難はしないのか?
野田の嘘は今に始まったことじゃないが、あまりに嘘の万華鏡を広げられると、あれを柔軟性のある真面目な政治家と捉えられ、評価する面々に騙されてしまうのではないか?
言っても始まらない、やってみなけりゃ結果はついてこない。
どうなっていようが、日本の現状は20年30年に亘り萎みつつある。これを是とするなら、それも一考である。個人的に自分のことなら何とかなる、と思いつつ後の事はどうにでもなれ、という輩がおおいのである。
しかも、身近の事で自分に災難が降りかかる状況が現れると、俄然戦闘的になる。後先考えずデモを始め、反対、反対とやる。
これ等の輩は同一の種類である。無関心でいながら何かがあると反対する。
でも原発反対のようにデモらないと伝わらない事柄も沢山ある。なんとも言えないが、じゃ、どうするか、解ったけどどうにもならない、とずるずると引き延ばすのかな。
はっきりと原発を止める政党が現れない限り話の持っていきようがない。
次の選挙で自民党は尖閣でいきり立つであろう。民主党は何を言うのか?原発反対を言えば人気挽回できるのに、それも嘘だらけで頼りない。
結局は維新に言ってもらうしかないのであろうか?しかしそのころ国民の関心は別の事に移っていて論点は憲法改正になっていくような気がする。
つい最近まで戦争の話や憲法の話は、平和という言葉の陰に隠れ押し込まれてきたのであるが、年齢的に戦争を知らない世代がほとんどになってきている現在、誰でも話していい時代になってきたようである。
戦争はいやだ、でもアメリカに頼るのも癪だ、もうそろそろ自立したい。
ハマコーじゃないが、アメリカの属国日本の生きる道は、何事にもよらずアメリカ様様であることであるのか?
そうであってアメリカに頼っていたのに段々萎んできてしまった。
どうしよう。活力もないし、個人が良ければの風潮に満たされている。
これを打開できるのは戦闘的な権力志向の強い政治家が現れて、勝手に政権争いをしてくれることなのである。
なんとかなるんだろうか?