あー、楽しかったナー、( ̄
![キスマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/174.gif)
クラクフとワルシャワの回想録ですが、
(今回は、一人でテクテク行ったから、よかったのだ。グループで行くと、また音楽関係者でないと、ポーランドに行っても、違うようになるのだ)
![右矢印](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/283.gif)
そして、
どうやら、最後から順番に書くよう、気分的にも、手も、スルスルと動いてしまう、
不思議です
![宝石赤](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/118.gif)
やっぱり、ショパンの家の印象が、強烈なのかなー
ショパンコンクールの会場、フィルハーモニーで、運よく当日券を買って聞けたコンサートもよかったし、
クラクフにあった、バベルの城の教会も、すごかったけど、、、
しょうがない、、
時計の針を逆さまに動かして、
(変体かなー?)
思ったことを、書きとめておこうと思います
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
まずは、この日、金曜日、
ショパンの生家に何としてでも、たどり着こうと、朝から張り切っていました。
タクシー代を節約したい私は、思い切って、オンボロの小さなモーターバスに乗り込むことにしました。
ショパン博物館で聞いたところ、この辺りから、モーターバスは出ている、
”Sochaczew 行き”に乗って、途中の”Zelazowawola”で、降りなきゃいけないと聞いていたけど、
ある、ある、”Sochaczew 行き”と思って、
運転手に、”ここ、ここ”、と、手に握りしめたコピーの”Zelazowawola”という文字を指して示した、、
すると、なんと
11時40分発と、夜の20時何分発しか、”Zelazowawola”に寄らないのだそう
一日に2本!しかない
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
朝だったので、さっそく、11時40分まで待って、乗り込みました。
切符は、8ズロティーなのに、10ズロティー渡したら、お釣りは戻ってこなかった。
バスだけど、運転手にもチップって必要なの?まあーいいや
1時間何分、かかった
(1時間半ぐらいだったかな)
結構、遠かったです
田園風景、これが素晴らしい、(素晴らしく田舎だ)
この辺り、家がぽつん、、、、、ぽつん、、、としかなくて、
火事が起こっても、火は隣家に届かないと思う
とりわけ、手入れの行き届いた、立派なお屋敷がショパンの生家なのです
(それでも、この程度。。。。。)
家は、綺麗ですが、まあ、大したことないといえば、、、そうなのだ!
小さな家です。しかし、家を含めた庭全体、土地全体に、ものすごく価値があった
家の玄関を開けて、後ろを振り返り、庭を眺めると
ショパンのピアノは、ワルシャワのショパン博物館や、後にも登場する、ショパンの住まいと合わせて、何台か見ましたが、当時のグランドピアノって、まだ、ピアノの先っぽが、丸くなく、カクカクッと、、角ばっている
鍵盤が小さくて、ガタガタ、もう今じゃ、あの大曲、エチュードやソナタは到底、弾けないけど、当時、まだ、このピアノが現役だった頃は、どのくらいパワーがあったのだろう、、、と思っていた
ショパンの楽譜に書いてあるペダル記号は、当時の一番良いピアノ用なのだから、今のもっと優れたピアノで弾くときには、そのままでいいかどうか、注意しなきゃだめだよ、(ツィマーマン)、を思い出したり。。。。
ワルシャワのショパン博物館には、革命エチュードの自筆符があって、左手が上に行くと、(ドソドレ)、クレシェンド、下に行くと、(ミレドソ)、ディミヌエンドの記号が、いちいち全部に、細かく書いてあり、右手も、小っちゃい、最小フレーズ(最小呼吸)ごとにクレシェンド、ディミヌエンド記号が、びっしり、、、、、、、
びっくりした。
感覚で自然にやっていることだけど、あれ?私の楽譜に、こんなこと書いてあったっけ、、、?
もう一回、見てみなきゃ、
それに、もし、これをいちいち、本当にきっちり表現して弾いたら、かなりエモーショナル(感情的)になるよ!でも、それもいいかな
と、前の前の日に思ったばかりだった。。。
裏庭に出るドア、
そして2階に上がるところ
サロンが行われる部屋には、スタインウェイがありました。。。。
ショパンも、自分の曲が、このピアノで弾かれるのを知ったら、びっくりするだろうナ、
今の人でないのが、本当に残念だ
同じ部屋の反対側を見ると
何より、この風土にショパンの曲の全ての源泉、魂があるのです
ショパンの家族は、ショパンが生まれてすぐ、ワルシャワに引っ越しましたが、ショパンが少年時代、しょっちゅう、ここに戻ってきては、近所の農民たちと、マズルカなどの民族舞踊を踊って、楽しみました。
3月のこの時期、ほとんど、観光客がいなかったので、私は、この風土を、しばらくの間、独り占めできたのは、最高によかったなー。。。。^^
庭を散歩すると、ショパンの曲の録音が、ずっと流れています
(記念に撮った動画が、長さ的に、2本だけ、アップできました)
庭には、川があります
そして、建築家は、やっぱり、今時のミュージアムショップやカフェを考えるのだ
ミュージアムショップで、帰りのモーターバスの発着時刻を聞くと、
さすがに、ワルシャワ行きだから、一日に2本ということはないが、
1時間に1本、か、2時間に1本、しかない
そこで、ショップを1通りながめて、”ショパンの左手”等のお買い物をして、
バス停で長い間待って、(時刻通りに来ないのだ)
帰りのモーターバスに乗り込んだ
シートベルトがないぼろさ、の故に、ジェットコースターに乗っているみたいに、体が座席から上下左右に、激しくとび跳ねたー、
景色も、昔と変わってないようだし、
道だって、あまり、変わってないのではないか
昔は、馬車だったけど、きっと、この位揺れただろうな、と思った
そして、ワルシャワに戻って
ワルシャワで最もにぎわう、新世界通りをずっと歩いて行くと、
(この新世界通りも、ショパンはよく歩いたそうです)
ショパンの心臓がある教会に着きます
心臓は、この柱の下に、埋まっているそうだ
だから、お花がある
えーぃ、わたしは、ここで拝めてよかったー、と思ったのだった
そして、
この教会の、隣の隣ぐらい、近いところに
ショパン一家がワルシャワに来てから、ずっと住んでいたアパートがある
手前の大きな建物の、下から3階目、上から2階目の角っこ
角っこの、窓から通りを見ると、こんな感じ
鍵盤も高い音がドまでない!ラまでしかないピアノは、19世紀の終わりには、よくあったけど、ショパンのピアノは、それどころか、ファのシャープともう一個、ソまでしかない、、、、スケルツォ2番の高いファなんて、最高音から3番目じゃない、、なんて、、、
下だって、ラまでない、やっけに鍵盤の数が少ないじゃないか。。。。。つまり、ショパンは、ピアノの鍵盤の端から端まで使って、最高に欲張って、作曲したようだ。。。。トホホ、
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
ショパンは、ワルシャワで一番良い通り沿い(大統領官邸もあるし、、)に、住むアパートを持てるだけでも、ラッキーな人だけど、
死んだ後にも、こうやって、自分の心臓を置いてくれる教会のすぐ近くに、なつかしい自分の住んだアパートが、ずっと残っているなんて、幸せな人だナー
これは、誰でも、夢見ることじゃないだろうか、、、と思った
(回想録は続く)