僕の幼なじみ | なっちさんのブログ

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僕は幼なじみが多いと思う。

子供の頃の友達でどこまでを幼なじみと言うかによるが僕の赤ちゃんから小学生までの環境がそうなった。
僕の家族が今の住所に引っ越してきたのが昭和43年8月で僕が生まれたのが11月で翌12月に母は自宅で美容室をオープンした。
生まれたばかりの僕は美容室内にベビーベッドを置いてそこで寝ていた。
0歳の僕は当然そんな事覚えていない。
幼なじみをイニシャルにすると同じイニシャルが出てきて混乱する。
ABC で割り振ると誰が誰だかわからなくなるので名前の一部にしてみる。
幼なじみの1番手は我が家の斜め前にいた浩君と貴君。
浩君は1歳下、貴君は2歳下。
同じ幼稚園に通い家族ぐるみの付き合い。小学生になる前に市内に転居した。小学生でも歩きや自転車で行ける距離なので転居後も遊びに行ったり行き来があった。
遊びに行ってそのままお泊まりもあった。
浩君貴君のお父さんは僕の父をよく飲みに誘った。僕の父は自分から誘うタイプじゃなかったので誘われるのが嬉しかった。
二家族で遊びに行ったり浩君貴君のお母さん引率で僕も一緒に遊びに行った事もあった。
浩君貴君の両親は僕の姉の仲人さんでもあった。
浩君貴君の両親は2人共他界した。
浩君貴君と会ったのは浩君貴君のお母さんのお葬式が最後。僕の父が亡くなった時浩君とは電話で話したが体調不良で浩君は参列出来なかった。

次に我が家の2軒右隣の広君。
同級生で小学校卒業まではよく遊んでいた。中学以降は会えば話すが遊ぶ事はなくなった。小さい頃はお互いの家をお泊まりした。小学校1年と2年はクラスメートだった。
広君のお兄さんと妹も幼なじみになるだろう。
広君と最後に会ったのは30年前。広君が早朝海水浴か何かに出掛けようとしたら車のエンジンが掛からない。広君のお母さんが我が家に来て助けを求めた。まだ寝ていた僕は母に起こされた。僕の車のバッテリーと広君の車のバッテリーをブースターケーブルで繋いでエンジンをかけた。
元ガソリンスタンドマンで当時マツダの営業マンだったのが役立った。
その後広君は結婚した家を出たのでずっと会ってない。
広君の両親は健在で今もいる。
その隣の賢君。
賢君はガキ大将タイプ。僕が赤ちゃんの時、僕の母が仕事中賢君のお母さんが賢君と僕2人を見ていた時もあった。当時我が家は平屋で父は庭に芝生をしいていた。我が家の庭は近所の子供達が集まる場所だった。近所のお母さん達が自分の子供と一緒に僕を見ていた。
賢君は小学生の途中で隣の流山に引っ越した。でも年賀状は続けた。
マツダの営業マンになった時マツダのお店から近かったので賢君の家に挨拶に行った事もある。
賢君は結婚して千葉市に住んでいた時に賢君に車を売った。賢君が僕のマツダでの最後のお客さんになった。

転勤族なので今何処にいるのかわからない。今は連絡取ってない。

我が家の前で工務店をやっていたTさん。

長女の弘ちゃんは4歳位年上。

長男の利君は同級生。次男の義君は2歳下。

小学校高学年まで我が家の前にいたが歩いて5分かからない位の所に引っ越した。利君は中2と中3のクラスメート。

大学生の時ガソリンスタンドでバイトしてたら女性のお客さんに話し掛けられた。

Mちゃん?

僕の下の名前でちゃん付けで呼ぶ人は子供の頃の僕を知ってる人だ。誰だろうと思っていたら弘ちゃんだった。結婚してガソリンスタンドの近くの家に嫁いでいた。

利君のいとこの雄君も我が家から徒歩1分位なので利君、義君と一緒に遊んだ。雄君とは小6、中2、中3のクラスメート。


広君貴君の後そこの家に引っ越してきた龍君。幼稚園は別だったが小1小2のクラスメート。よく遊んでいたが小3の頃引っ越して行った。

高校位まで年賀状は続けた。市内なので引っ越し先にも何度か遊びに行った。


我が家の前の道路の角から角まで50m位の間に10数人同年代の子供達がいた。

我が家の左側の角には治ちゃん。

1歳上の女の子。2人だけで遊ぶ事はなかったが何人かで遊んだ事はある。

就職で家を出た後1度再会した。僕が大学生の時に同級生にある会合に誘われた。そこに治ちゃんがいた。

治ちゃんの両親が他界した後既に結婚していた一人っ子の治ちゃんは実家を売りに出した。

我が家の左隣には和君がいた。僕の1歳下。

すぐ隣なので時々遊んだ。

中学位の時引っ越した。引っ越した後もたまに遊びに来た。高校生の頃男性アイドルになるためレッスン受けていると目を輝かせていた。でもアイドルになった和君を見る事はなかった。

賢君の2軒隣に香ちゃん。

香ちゃんは2歳上で僕の姉の同級生。

治ちゃん同様2人だけで遊ぶ事はなかったが姉と一緒とか数人で遊んだ事はある。

両親は他界し家はまだそのままある。たまに香ちゃんが掃除か何かで来てるようだ。

香ちゃん宅から2軒隣に耕君と和ちゃん。

耕君は1歳上で和ちゃんは同級生。

2人共よく遊んだ。

和ちゃんが小学校卒業の時近くに引っ越した。

和ちゃんは同じ小学校卒業したが中学は隣の中学に行った。

耕君は1年で転校が嫌だったのでそのまま転校せずに通学した。耕君の家からだと2つの中学は同じ位の距離。耕君は中学卒業、和ちゃんは小学校卒業以来会ってないが耕君和ちゃんのお母さんと僕の母はたまに会ったり連絡取ってるようだ。


近所だけでも治ちゃん、弘ちゃん、利君、義君、和君、浩君、貴君、龍君、広君、賢君、香ちゃん、耕君、和ちゃんと幼なじみがいる。この他にも同年代は何人かいた。

その他に小3からの付き合いで中学では同じ部活、僕が大学生の時は一緒に草野球、マツダの時はデミオを買ってくれた次君も幼なじみで今も連絡を取るし年賀状も続けている。

同じ幼稚園の宏君は小3小4のクラスメート。高校時代はよく遊んだ。

30歳以降は会う機会は減った。

僕の父が亡くなった時は連絡を取りその後何度か会った。

小5の時転校してきた樹君。

小5、中2、中3のクラスメートで中学は同じ部活。高校時代大学時代もよく遊んだ。

樹君の結婚式にも行った。今は年賀状だけ。


我が家の近所の同年代の人達で今もいるのは僕と姉だけ。まあ姉は1回離れているが。


近くにいなかったり生活リズムが違い会わなくなった。年賀状続いている幼なじみは次君と樹君だけ。次君とは数年に1回は近況報告というか生存確認で連絡取り合う。東日本大震災とか緊急事態宣言の時とか。


僕が結婚でもすれば疎遠になった幼なじみに連絡する口実になったがずっと独身なのでそれはない。


幼なじみがたくさんいるのは良い思い出だ。