パーリ聖典

長部経典 戒うん編の
ポッタバーダ経
説明

邪見の10の質問については無回答である仏陀
(十無記という)

霊魂と肉体は同じか(断見)
異なるか(我の常在、常見)
邪見であるため
回答しない

そして
無明である我
が夢幻のようにみている世界についての質問
(無明である我も世界も無明からの縁起によって生起してるだけの空性であるのだが)

世界は常住か(常見という邪見)
無常か(断見という邪見)

世界は無限か(常見という邪見)
世界は有限か(断見という邪見)

生けるもの(ゴータマブッダ)
死後生じるか(常見)
生じないのか(断見)

生けるもの(ゴータマブッダ世尊)
死後生じ、また生じないのか
(生じてから無となるのか)

また
死後生じるのでもなく、生じないのでもないのか
(無となったあと、また生じるのか)

以上が無明からの縁起の空性をしらない
邪見(有る無しの極端な説)である

つまり諸行は
実在でも、まったくの無でもなく
無明からの縁起による空性エネルギーであり
それは癒されて実在へ帰還する仮のエネルギーである

次に

縁起の逆転(想念の逆転)つまり癒しがのべられる

初禅により
以前の欲想(欲界の想念)が滅し
遠離から生じる
喜びと楽という微細な想があらわになる

2禅により
大まか細かな考察がなくなり
喜びと楽という
より微細な想があらわになる

3禅
平静と楽により
さらにより微細な想があらわになる

4禅(4つの色界禅のさいご)
非苦非楽という感受のない
さらなる微細な想があらわになる

空無辺処
色の想が滅し
虚空は無限という想があらわになる

識無辺処
空無辺処が滅し
識は無限であるという想があらわになる

無所有処
識も消え
無所有処(我という想のみ)があらわになる

無所有処はすべての想の基盤であり
これもまた滅する

無所有処において
ブッダは説く
(要略)
想の頂点に立ったかれは、つぎのように考えます
私には意思(活動)することはよくない
でなければ
粗い想がまた生起するだろうから
こうしてかれは滅にふれます
このように
想滅定が生起するのです

(無所有処と
想滅定つまり阿羅漢
のあいだにあるといわれている
薄い我 非想非非想処という言葉については、この経においては語られていません)