非二元では

活動の
源である無条件の存在が基盤(ノンデュアリティ)といわれている
在るがままである無条件の存在のサブ性質であるワクワクという実在が空想の源である)

そして
活動は雲のような現象にすぎないのであり
ほんとうのあなたはなにもしていない無条件の存在の気づきだということである

ではそのことについてもう少しくわしくみてみよう

多様な活動をみているのは
自我
である

無条件の存在は、
自や他の多様な活動を作らないし、
現実とはみない

多様な活動を現実だと認識してるのは自我だけである

それでは、
活動を実在ではなく、非実在だとみる
つまりは現象だとか、空想、空性であるとみることができる存在は何かというと
もちろんそれが無条件の存在であり
その力の一部をつかい
空想してきたように、
無条件の力の一部をつかい
無条件の基盤と、
現実活動だと勘違いしてきた空想とを、識別しているのである

したがって
次のように説明できる

現実としての多様な活動をみているのは自我であり
活動を
現象または空想、空性でしかないとみぬいたのは無条件の存在である
(みぬけたのは空想の存在がみぬいたのではないのである
なぜならば、空想されたものは自分が主体だと勘違いした時点で自我となっている
からである
奇跡講座AC I Mにおいても、みぬくのは空想マインド、選択する主体ではなくて、
空想主体が依頼する聖霊つまりはノーマインドの記憶がみぬいてくれるからなのである
癒しは聖霊がおこなう
そしてここで奇跡講座ACIMの誤りを指摘しておこう
聖霊を選ぼうとする選択できる空想主体は
、空想主体ではなく
じつは自我であると
なぜなら
空想されたものがみずから主体、マインドだと
おもいこんだ時点で
すでに解離、自我だからである
これがナチュラルノンデュアリティという妥協のないスピリチュアルである
誤りがおきたとき、つまり解離がおきたとき
ノーマインドの記憶つまり聖霊は外部にみえ
るという勘違いがおき
マインドはノーマインドの記憶を「持つ」という
勘違いになる
ノーマインドの癒しは
マインドが持つものではありえないのであり
所有物ではない
奇跡講座のスピリチュアルは
「作り話」である
ありもしない
空想主体が
自我と聖霊を選択できる
としてしまっているからである
空想「主体」はすでに自我催眠である
ナチュラルノンデュアリティは
このことを指摘する
もし、聖霊を客体として選択しようとするなら
自我催眠であり、自我の性質を対象としてあらわした神を
好奇心、苦しみ、恐れの対象としてみるように
客体としての聖霊も
好奇心として求め、恐れながら、苦しみながら委ねようとしつづけるだろう
そうではなく
聖霊、神は
永遠の今
つまり主体化催眠以前の
存在なのだから
私が選択するのでもなく
私の外側でも
私より内側という観念
でもない
私という幻想があるとき
外側
内側という幻想があり

永遠の今ここが
みうしなわれているのである
(催眠)。

癒しはナチュラルスピリット(永遠の今ここ)からの
ものでしかありえない

空想の主体化催眠についても
私を作ったのは私ではない
私を癒すのも私ではない

それゆえ
主体化催眠(自我)のあと作り出した
私の全宇宙も
私とともに癒される

これが
妥協のないメッセージであり

ナチュラルノンデュアリティによる全自動のメッセージなのです


最終メッセージ


自然(ナチュラルスピリット)だけが実在する

努力は無意味で

疲れるだけである


これが試みのあとの

永遠平和のための
ナチュラルスピリット(神)の
悟りである

以上です