煩悩は
スピリチュアル的な世界観においては
ワクワクと同義であろう
ノンデュアリティにおいては
基盤である実在は
すでに在る、そしてプラス、サブ性質のワクワク
である
したがって
ノンデュアリティの基盤自体は
メインの性質は主体ではなく在るがまま
である
そして
やがて幻のマインド(主体)をもたらすことになる
基盤(実在)のサブ性質がワクワクである
基盤(実在)にあるワクワク(サブ性質)が
ウキウキ(浮気浮気)という空想状態
を作る
つまり空想する
ここで注意しなければならないのは
実在のサブ性質ワクワクから
ウキウキ(空想)がおきるときに
そのまま(つまり在るがままの正気とともにあるワクワクからのものとして)
幻想の宇宙が想像されたのではない
という点である
なぜか
もし正気がともにあるなら
残虐な戦争や猟奇的殺人事件のある
宇宙など想像されるわけがないからである
このゆえに
神のサブ性質のワクワクからの
はじめての試み(ワクワク)
において
何かミスがおきていたのである
それが
空想(努力)に
主体化催眠(自律心、自己原因妄想、そして空想ではなく行為者つまりカルマ主という信念)
を与えたことなのである
つまり
神から離れたかのような
孤独な状態の苦しみ
からの
非喜劇のシナリオが誤想像され、
そして投影されたのがこの宇宙である
そこでは
特別性が現実のものとして信じられ
条件が現実のものとされ
特別の憎悪、特別の愛の関係として
行為が現実として称賛され、また、批難される世界を作り上げたのである
それは催眠により
ほぼ完全に無条件の平安を忘れているという
不自然な苦しみの、そして無常の世界なのである
それは無条件、無努力、永遠平和
という実在のメインの性質とは、
もはや真逆の幻想世界となったのである