仮説

ナチュラルノンデュアリティにおける
覚醒後の最後の人生
(即時に宇宙の消滅がおこらない場合)


ナチュラルノンデュアリティという覚醒においては
主体化催眠(自我を実在と信じること)
は解除されている
しかし
宇宙か消滅していない場合は

催眠解除されてはいるが空想としての自我が燃え尽きたロープ(空想)のように
まだのこっている
それゆえに
自我の対象としての
シナリオや魂たちが残っているのである

つまり
起きているようにみえることは同じである

ナチュラルスピリットが在り
空想の自我(つまり空想の好奇心、苦しみ)があり
客体の意識もあり
その中にシナリオや魂たちもある

例をあげれば
腹が減ったら、食べたいという欲望をもち
食事する

などである
起きているようにみえることは同じである
ただそれが空想だと感じるのである

つまり
自我が空想としてあり
空想の客体意識があり
空想のシナリオや魂たちがあり
空想の知覚があり、思考があり、喜び、悲しみの感情がある

起きているようにみえることは同じでしかありえない

もし、それらがないというのなら
マインド(自我)も宇宙も完全消滅しているはずである

なぜなら
ナチュラルノンデュアリティにおいては
自我ではないマインド
などはないと妥協なく覚醒しているからである

もし自我がなければ
地球は回転しないし
誰も欲をもち食事しないだろう

だが
そうではないのである

あいかわらず銀河も地球も回っている
日は登り、人生がある
今生に参加した最後の人生体験がおわるまで
は経験するのである

彼が死んだとき

もう行方は誰も知らない

寂滅(ただ在る)からであり
活動によって無活動を知ることはありえないからである

最後の人生は
空想であるため
空想は空想されたものであり
覚醒(ナチュラルノンデュアリティ)
という実在のなかの空想エネルギーとして
分離(催眠)などなしにみられているだけである
最後の人生においては
空想も癒され、何もない
というのではない

それなら即時入滅のはずである

しかしそうではないから

したがって最後の人生は
空想されたものは同じように
いぜんとしてのこり活動し
しかし現実だとはみられない

空想されているエネルギーとして分離(催眠)なく欲、多様性が存続している
それが
深刻なき、しかし、無ではない最後の人生なのである