仮説 無記とは
語らない 記さない
ということである
概念「かたち」は空想であり
独立的実在『私』、
というのは、信じることつまり『催眠』にすぎない
実在は永遠のいまここであり
信じる必要はない
からである
『私』を信じるとき、『私の中に『対象』』を信じはじめる
そして
『対象』のなかに
シナリオや魂たち(小さな私たち)を創作(創造)する
こうして
これは私のものである
これは私である
これは私の我(永遠的存在)
とエスカレートし妄執するのである
しかしながら
カタチ「」は実在ではないから(空想にすぎないので)
『私』は独立した実体とは成っていない
私の対象も同様である
そこには
私は、存在する(自我は在るという概念 I A M)
も
私は、存在しない(無我というカタチ、概念)
もない
だから
それらの概念について選択もない
私が実在しないため対象も実在しない
このため
対象への質問もない
回答もない
それが無記(非授記 ナチュラルノンデュアリティ)である