ちなみに
サーンキア哲学では
プラクリティ(質料因)の実在からは

意識現象として

マハット(統覚)

があらわれ

そのあとに
アハンカーラ(自我)
があらわれ

そして
そのあとに
マナス(心作用)や元素
があらわれる
とされています

では
マハット(統覚)とはなにか?
でありますが

図では
アハンカーラ(自我)のあとに
心や物があらわれるので

アハンカーラが幻想の創のようにみえるかもしれないのですが

そうではないような気がいたします

わたくしは
マハットこそ
主体化催眠による幻想の誤創造主であるとみています
(唯識では阿頼耶識)

したがって
アハンカーラ(自我)は
魂
(唯識では末那識)
ではないかと
推測しています

なぜなら
マハット(統覚)はたんに聖なるものではないからです

この専門書では
それぞれの要素(段階)にも
3グナのバージョンがおこりうるとされているからです
(創造、維持、破壊的)

つまり
マハット(統覚)には
サットヴァの影響が強いときには
ヨガの、ヤマ、ニヤマつまり
禁戒、勧戒
の因となると書かれていて

マハットが
タマスの影響をうけると
消沈、耽溺
の因となると書かれているからです

したがって
推測ですが、
アハンカーラ(自我)よりも
上位にある
マハット(統覚)
というのは
聖霊のような存在ではなく
大自我(3グナの影響がある)とみなすべきだとおもう

というのがわたくしの読書途中感想です