静寂と愛は両立しない

なぜなら

愛は活動を暗示するから

そして活動とは幻である

静寂はただ存在する

ノンデュアリティに関する
本やYouTubeを聞いていると

在ることは愛であるとか

説いているが

それはマインドが説いているにちがいない

奇跡講座でさえ

マインドが学ぶものであるから

聖霊を対象であるかのようにとらえることになる

そとに想定したものに明け渡そうとするなら

それは活動性をまぬがれない

したがって

マインド以前の聖霊(静寂)は
マインドによって博なる愛執におちいるのである

それは真の自己を忘れ
そとに真理を想定している

したがって、
その実現は
自分または自分ではない他者に奉仕することの
堂々めぐりとなろう

なぜなら

その正体は

マインドがそとにとらえている偽である概念の聖霊だからである

したがって
幻想の活動性からはのがれられない

では奇跡講座のそのあやまりはどこからきたのか

それは

神(無限)が同一であるキリストを創造するという幻想の活動(ありえない矛盾)

を信じこんでいるからでいる

そのあとに

そのキリストとやらに

もし個があったとしたらという妄想がつづくこととなる

そしてさらに主体化催眠がおきる

このような妄想は
破邪顕正
により催眠解除される

神の正気(神の試みの終焉)の真の福音が
おきたからなのである

これが

因縁の終焉であり、真の慈悲のメッセージ(愛ではない)である