自我は対象観念において(自身についてもであるが)
何かについて
それは有る
それは無い
と妄想する
しかしながら、
六十頌如理論 第4偈において
この生存からは、有によって解脱することはなく、無によっても解脱しない
と説かれる
なぜならば
この生存(空性)は
源(ナチュラルスピリット 無分別智 般若波羅蜜)に還らなくてはならないからである
空性エネルギーは無(虚無)ではない
というのは
それは
縁(無明)により生起してきている空性エネルギーだからである
ノンデュアリティの
癒し
とは
上記のように
般若波羅蜜(無分別智 ナチュラルスピリット)
により
オートマチックに癒されてきている状態のことであるといえる
(その意味での私はいない)
しかしながら、
私は有るとか
私ははじめから無(虚無)いというのならば
まだ妄想(催眠)であり
それらは
まだ救済覚醒(催眠解除)されていない主張であるということなのである