煩悩と離欲 も幻想である
(参考文献 ナーガールジュナ研究 瓜生津 著 第2章 六十頌如理論)
煩悩とは、誤って対象をとらえるところから生じる
(根源的には、ナチュラルスピリットの好奇が
個という空想対象を、主体化催眠つまり実在的にとらえることからはじまる。その主体にも対象意識があらわれてくるのである。そして対象において思惟や言葉もあらわれ、有無の邪見や愛着や論争もうまれる)
有貪も離欲も実在ではない
なぜなら
そのような自我をふくめすべての対象は
空性であるから
自我(煩悩)も滅(離欲)も実在していない
原始仏教のスッタニパータにも説かれているように
非実在をまさしく空性とみているので
自我をふくむ対象(所依)を取捉することがないので煩悩そして離欲も貪ることがないのである
ナチュラルスピリットはただ在り
無条件(無努力)が実在である