たとえば
聖霊はノーマインドの記憶ですので
主体以前に本体があります

それを
主体が選択する(客体とする)
と説くと
おかしなことになります
(愛着、自我の特別の関係としての聖霊と成ります
そして愛着が真理だと錯覚することとなります)

これをべつの表現で説明したのが
主体、客体、そして生起(輪廻)と消滅(涅槃)
すべてが幻想であると説いたのが
龍樹の説明になります
主体以前の涅槃と主体あとの消滅(涅槃)は
同じではなく
後者は主体がつかんでいる幻想(つまり概念)ということです
いいかえると
主体のあとの自我、聖霊
はともにマインド(まよい)という説明になります
たとえば
聖霊はノーマインドの記憶ですので
主体以前に本体があります

それを
主体が選択する(客体とする)
と説くと
おかしなことになります
(愛着、自我の特別の関係としての聖霊と成ります
そして愛着が真理だと錯覚することとなります)

これをべつの表現で説明したのが
主体、客体、そして生起(輪廻)と消滅(涅槃)
すべてが幻想であると説いたのが
龍樹の説明になります
主体以前の涅槃と主体あとの消滅(涅槃)は
同じではなく
後者は主体がつかんでいる幻想(つまり概念)ということです
いいかえると
主体のあとの自我、聖霊
はともにマインド(まよい)という説明になります