空想の私の旅のおわり


いしき(無努力)のために努力はいらない

いしきのために時間はいらない

内的時間も

内観の時間もいらない

内観はマインド(収縮)だから

外的な努力も内的(観念的な)もいりません

マインドからがんばっていしきに戻って
それから世界をみる

ではなく

はじめからいしきなのです
いしき(真のハート)のなかに
世界はあります

外的活動、内的活動はそのなかで
おきています

サハジャ(自然)イコール存在意識(いしき)です

私は実現していない
ただの想念です

実現とはいしきのことです
それはつねにあり
達成するものではないです

私は実在しません
私と非私という二つのいしきはありません
自我は実在しないです
二つのいしきというものはないからです

真実イコール無努力(今)であり
頑張ってマインドからもどり
意識から世界をみる
というものではありません
そのマインドや意識は幻想です

真実はイコール無努力であり
無努力性(いやし)が真実をあきらかにします

真実は努力(私)の活動以前
のため

真実(無努力)を表現することはできません

表現は私の活動だからです

表現以前の無努力

こういった表現されている非私も個の観念であるため
無努力そのものつまり真実ではありません

真実についての表現は

真実に関していない私自身の表現よりは

質的には

真実に近いエネルギーです

しかし
個(活動)のエネルギーを利用しているため
やはり
真実(無努力)そのものではないのです

努力によってパワーの源に戻ろう
私の妄想です

あるいは
実現とは
私の妄想(想念)にすぎないです

無努力(真のハート)からの
現れが
幻想の私の世界です
それは好奇心であり、ほんとうは苦しみ(不自然)だったのです

努力という幻想は
今からしか生まれません
努力によって今に集中する
バカげた妄想です

私は永遠のパワーを手に入れる
妄想であり
永遠から一時的な私という妄想があらわれただけです

私が永遠にたどりつくことはありません
私はきえるだけです

努力によって愛にたどりつく
妄想なのです
努力もその愛も妄想です

実現するものなどなにもありません
私すら


私は愛を実現したい
いや
私は愛に帰りたい

でも

それはすでにあるのであり

私も私の愛も実在していなかったのです

空想の私の旅のおわり

努力によってパワー、存在そのもの、にたどりつく
という思想は妄想なのです