僕らは
病院のロビーで出会った
彼とは
同病相哀れむような、そして、楽しい
同学年の旧知の間柄の再会だった
そういった孤独のときは
勇気づける間柄になりたいとおもった
私は退院し
彼は、治療中のような感じ

場面がかわる

私たちは
見事な風景な森の山を見下ろした

山のなかの
川のながれ
を見下ろしながら

?あるいてゆく

そこには
巨人の足跡が、ついていた

川のあちこちに

大きな足跡があり

水がたまり、みつけられるのだ
(かつて、白い塔の南隣の市の
故郷の河内長野市の山のなかに
それがあり、母とあるいて見たことがある)

今回は旧知の同級生と歩いている
森の道にも大きな足跡があり
日の光があたるところに
草がたくさんはえていた足跡だ

旧知の同学年の
心強い友達ができた私はうれしかった

私の家につくと
私は、彼に手紙のやりとりをしたいと言った

彼はまんじりとしていたが
同意してくれた。

うれしいことに
写真を
記念に撮ろうと言ってくれた

私は
うれしく家に入って

服をさがした

母がなにやら、やかましいことをいっている
ような自宅の雰囲気だが
気にせず
スーツ

をみつけ着たのだ

なんだか かさばったぎこちないスーツをきた感じ

そこで、朝 さきほど目が覚めた

しかし
目が覚めたので、

彼と写真を撮れない

ので申し訳なく
思っているのだ、また寝て、写真を撮らないのは裏切り?

僕は

また体外離脱から
もどったようだ

スーツはおそらく

この体だ

巨人の足跡はなんだろう?

おそらく
形而上の I   A Mの暗示か

この世界は
投影のようなものか

旧知の彼は誰か

不自然な孤独なI   A Mの片割れたちの
1人だろうか

つまり
分裂した魂だろうか

それとも
11月に母方の祖父20年目、祖母10年目の
供養催を、母の実家で
することになったと、
昨日寝る前に姉が、
伝えてきたために
このような夢(体外離脱)をみたのか
では祖父か?

わからないが

正直わたくしは
供養催はめんどくさいと
感じた(ひどい男である)

なぜなら
そんなものは

自宅ででも日々感謝して祈ってればいいのだ。

親戚に興味はないし、10歳も年下の従兄弟は結婚したが、こちらはおそらく生涯独身の身分だ
(どうでもいいのだが、同情の目でみられるのはメンドクサイ。
親戚にとって
わたしたちの家族は、夫婦が離婚し、妻が精神錯乱をして迷惑をかけた、わたしたち子供たち
の到来だ。親戚はいい人たちで喜んでくれるが、同時に闇の親戚騒動の過去もおもいだすにちがいない。)

このようにかくと先祖不幸者
供養する気持ちもないのか
と非難されそうだが

素直に
メンドクサイ
と湧くのだからしかたがない

しかたないが いくとせねばなるまい

どこかにあってくれる

黒服スーツや数珠をみにつけねばなるまい

スーツなど メンドクサイ

わたくしは
ほとんど着たことがない人間だ

正座で腰も痛くなるだろうし、憂鬱感もわく

やれやれであるな

おそらく
この世界は

孤独なI  A M が

夢のなかで
親子や友達という
妄想をつくりだし

なんだかんだをしている
まったく解決しない意味のないことで

ごまかしているのだ

孤独な偽者の神状態

親孝行、友達思い
そして親不幸者、友達裏切る人間

光と闇の二元性

白い影とや黒い影というまぼろし
(昨日の日曜日から、ノンデュアリティの中野真作さんの処女作を
図書館で借りたものを読んでいる
彼は読みやすい内容もすぐれた本をかいているが。途中感想だが、内容はまだ甘い(本音をいうが)。
神の退化や進化、色即是空をたのしめる、などとかいてある。

わたくしがおもうにそれをいやすのは
真のナチュラルスピリット

西田幾太郎の
純粋経験(意識)も
まだ色即是空にすぎない

それはまだ煩悩たっぷりの無意識の意識
幻想の宇宙の回帰の繰り返しと
かいてある
(図書館のもう一冊の本、西田哲学の引用がかいてあった)

世間的にもスピリチュアル的にも
恩知らずといわれようが

わたくしは
唯一
真のナチュラルスピリット(即時救済、永遠的平和)
をしんじたいのだ