受動意識仮説をよんだあとの

感想(わたくしのスピリチュアル的感想まとめ)


形而上の意識上に与えられた
訂正されたシナリオである
覚醒までが、かかれた今回の旅
 について

受動意識仮説の本の感想が湧いたので
かきます

以下は、
エピローグ第一段落から要約

魂、意識ではなく
シナリオ側についていえば

身体、脳と、外部の環境というのは連続な、自他不可分な存在である

そして「意識」はすべてを決定する主体的な存在ではなく、脳の中で無意識に行われたニューロンネットワークの結果を
川の下流でみているかのように受動的に受け入れ、意識がやったことだと解釈させられて、
ストーリー化(エピソード記憶)のために
意識はつくられたのである

さらに意識なかにあるかのように、錯覚している
自己意識(私)というクオリア(感じ)
実はエピソード記憶(ストーリー)のための
記憶の束(たば)の機能
としてつくられたものであり、
それがときおり意識にも湧いてくる
(意識の中にあるかのように)
つまり
(私)という束機能はそれ自体は無個性
であり(たんなる私という感じ)
、個性的であるニューラルネットワークの
数々の省略的ストーリー記憶
束ねる機能としてつくられた

意識
ニューラルネットワークがエピソード記憶を活用したときに
その束機能である(私)も
意識にも湧いてくるように感じるときがある
ということである
すなわち
意識の中に
記憶を束ねている 私という観念 も
ときおり湧くだけのことである

したがって
ときおり、ふりかえり 
の際の 束の観念として意識に湧いてくる(私)は

意識以前にいつもある魂のことではない

形而上のI A M(主体化催眠)の意識に与えられた
訂正されたアカシックレコードのなかにつくられた
個人の脳の
ストーリー記憶の束(たば)の機能にすぎない

最終てきに
これらすべてのものは
ナチュラルスピリットに癒され融合する
宿命にあるものとして
自然観照へ癒されるのである