ノンデュアリティについて湧いた感想
熟睡
というのは
魂(および意識)
がいかなる投影も経験していない
休息状態だということができます
その状態は
存在意識(真我)
ではないというのが
感想として湧いております
また、すでにのべてきたように
奇跡講座(ACIM)の世界観にも同意がおきません
それはナチュラルスピリットから
つくり事としての半自我催眠(まだ 主体化催眠のまま)に与えられた
方便です
空想されたアイデア自体を主体として意識をつくりだすためには、そして選択(スピリチュアルか自我か)させるためには、
空想されるアイデア(個)を
主体化催眠という幻想状態にしなくてはならないからです
そしてこれもまたコントロールという幻想となります
私という概念は、すでに主体を暗示しているので
たんなる個という(ナチュラルからの)発想ではもはやなく
もう主体化催眠でいるよという結びの概念です(それが私という概念なのです)
それはほんとうは無意識的な催眠、信念です
なぜなら
自我がつくりだした意識
その意識以前の信念状態だからです
その信念は
分裂化し
魂となっております
したがって魂の意識においての
周期的な投影のたんなる休息状態
というのは
ナチュラルスピリットの癒しの状態
ではありません^_^
ということになります