あと一般的なスピリチュアルなテーマで
?一瞥体験のあと
また意識がもとにもどってしまった
とがっかりすることがよくあるそうです
そして
一瞥体験の記憶がのこるんですね
それのなにがいけないのか
なにもいけないことはないとおもいます
?一瞥体験できたのはラッキーですし
通常の意識にもどることはいいことだとおもいます
でないと
全体意識のままだと
日常生活が
逆にしにくくなるとおもわれるからです
今までの意識の量にもどることは
夢のなかでは通常のことだとおもわれます
意識の量が2倍、いや、もっと拡大していなければ
というのは
あこがれるかもしれませんが
そもそも
ほかの個の意識と制限なくつながってしまったら
逆にやりにくいでしょう
たとえば外国の地球の裏側あたりの国の殺人鬼たちと意識がつながったり
しても、メンドクサイでしょう
つまり
個の普通の意識でありながら
それが平安に癒されている状態
(ナチュラルスピリットによる自然統一)
がよいのだとおもいます
もともとは個の意識がバラバラなのは
自我の計画によるものですが
たとえ一瞥体験したりして
そのあと意識がちゃんともとの量にもどるのは
通常の生活を続けやすいので
夢はうまくできてるといえます
なので不必要な欲望(全体意識でいたい)
がかえって
無意味な苦しみになる場合があるので
通常の意識でいながら
神の恩寵のホログラフィー(フラクタル、相似)により
その意識が癒されている状態(ナチュラルスピリットによる自然統一)
のようなものがベストな悟後の人生の状態
であるかもしれません
(必ずしも一瞥体験がなくてもいいのかもしれません)
^_^
ちなみにわたくしは
神秘体験は大学時代に一度だけ、
体外離脱も一度か二度したことはありますが
それだけで日々は平安になったわけではありません
探求と心の支えになっただけです
それよりも
ナチュラルスピリットによる自然統一
という平安な日々のほうがよいとおもいます
もしそれを否定して自分の意識がしなければ
というのなら
朝おきたあとも
不安と好奇心の意識
のまま(つまり自分の意識で)
生き続けることになります
人によってはその自我意識で躁や鬱にほんろうされながら
それを現実にして生きてる人もいるわけですから。