▷結婚3年目、2人の天使ママ。 -10ページ目

▷結婚3年目、2人の天使ママ。

授かった命は、
お空に帰ってしまいました

2022.04.25 9w稽留流産
2023.06.05 18w中期流産



2人の天使ママです


こんばんは

今日はお仕事お休みでした。
月曜日はなんとかお仕事に行けましたが
金曜日と同じで
気持ちが全然ついていかなくて
しんどかったです。
どうしても泣いてしまいそうで
あまり関わらないようにしてしまいました

いつになったら仕事が
できるようになるんだろう悲しい


あしたがくるのがこわい


必ず明日は来る
働かなきゃいけない日が迫ってくる
逃げられない
つらい

休んでもなんの解決にならない気がするけど
仕事に行くことも辛い
打開策が見出せない
何にも考えられない

どうしたらいいの
誰が私を救ってくれるの


妊娠初期の流産は可能性として高いもの

それは知ってる
でもどうして皆んな仕事できるの
すごいな、みんな強いな
って思う。

一方で
私はなんでできないんだろう
逃げているだけなのかな
働きたくないからなのかな
って思う。

家にいても
しょくばにいても
外出していても
ずっと悲しい。

眠れないし
集中できないし
なんかこれも書いた気がするけど
私の脳内の中のモヤモヤを
書いていく

泣いても泣いても悲しい
悲劇のヒロインになりたいわけじゃない
でも、まだ赤ちゃんに
ありがとうがうまく言えない

会いたかったとか
そういった気持ちがたくさん溢れてくる


明日は仕事いけるかな



きいな

おはようございますにっこり
今日は天気も最高にいいということで
目が覚めてしまっただけですが
洗濯をまわしているあいだに
少し更新しようとおもいますキメてる

絵文字もっと増えたらいいのになあちょっと不満

さて、手術とGWがほぼ重なって
2週間ほどお仕事をお休みしていました

久しぶりの出勤を金曜日にしました

正直、すごくしんどかった

ちなみに仕事は子どもと関わるお仕事です
今は未満児の担任をしています

仕事を始めたら辛いことを忘れるかも
クラスの子をより可愛く感じるかも
成長を見届けることを嬉しく思うかも
なんて思ってたけど
現実は甘くなかった

ぼーっとしてしまって
ふとした時に涙が出そうになる

「あ、これはしんどい」
逃げるかのように気持ちを落ち着ける薬を
飲みました。
少しは楽になった気がしますが、
記憶がない

副作用なのか、
脳がしんどいって思って
自衛のために思い出させないように
しているのかよくわかりません

同じ担任をしている先生には
流産してしまったことをお話ししました

母子手帳をもらったのに
9w2dで流産した
赤ちゃんがいてくれたから
○日に手術をした
たくさん心配してくれたのに
こんなにたくさん休んでしまって
すみません

辛かったね
そんな辛いこと乗り越えて
今日来てくれたんだね
頑張ったね

そう言ってくれて
一緒に泣いてくれたんです

子どもたちを見ていると
しんどいこと
なんだかぼーっとしてしまうこと
かわいい
って思うけど、辛い気持ちもあること

全部話した。

多くの人が
経験したことあるんだから
いつまで泣いてるの

もう切り替えて
仕事してよ

って思われているかもしれない
もうマイナスなことしか考えられない
けど辛さしかないこの職場は
居続けていいのだろうか
居続けることはできるのだろうか

みんなどうやって
乗り越えられたの?

いつまで経っても
闇の中です。

まだ月曜日、働けるんだろうか
火曜日、お休みだから頑張ろう


きいな



水子供養

手術をして1週間後くらいに
近くのお寺で供養してもらいました。

私も、旦那も宗派等は気にせず
家の近くのお寺にしました。

ツツジが綺麗に咲いているお寺でした花

「赤ちゃんにお名前はつけていましたか?」
ああ、名前すらつけてあげられなかったな
そう思ってしまい、首を横に
振ることしかできませんでした。

エコー写真を渡してお経を読んでもらいました
旦那さんと一緒に買いに行ったアルバムを
渡しました。
20枚くらい入るアルバムを買って
入っているのは数枚のエコー写真だけ

一冊で足りるかな?
いっぱいになっちゃったらまた買おうね

と旦那と話しながら買った思い出も
思い出してしまって
涙が止まりませんでした。

もっともっとこのアルバムを埋めたかった。



準備ができたので
本堂の方へきてください

呼ばれるとお線香の前に
渡したエコー写真のアルバムと、
旦那と私の名前と水子ノ霊
と書かれた位牌がありました。

生まれてないけど
死んじゃっちゃったんだ

ふと思ってしまいました。




お経を読んでいただいてる間も涙が
止まらなくって、
「赤ちゃんがこの世に生まれることが
できなかったけれど、迷わずに
お空に行けますように」
そんなニュアンスでお坊さんが
お経を読んでくれました。

宗派によって違うとは思いますが
私たちがお願いしたお寺は
そのような形でした。

そしてポコズママの冊子をいただきました。
読んでも読んでも涙が止まらない
初期での別れもおおいけど、後期で
死産として火葬も経験した方
辛い思いをたくさんされた方の
お話しも目にしました。

少しずつ、前を向けたらいいな


ちなみに金額のお話もします札束
本堂でのお参りでしたが普段着で行きました
「お布施はお車代としていただきますので
金額は決まっておりません。
お気持ちで結構です」
との事でした。
私たちは1万円包みました。
一応新札で、薄墨出ない筆ペンで
お布施と書いてある袋で
名前のところは旦那と私の2人の
名前を書きました



きいな
もう少しでお別れして2週間です。
ゴールデンウィーク、皆さんどう
過ごしていますか??

私は悲しい気持ちを見えなくするように
がむしゃらに生きています。
旦那がいろんなところに
連れていってくれています。
体調もまだ良くないので、
長い時間は外出しないけど
いい気分転換になっているのかな看板持ち


さて、タイトルのお話をしよう。

赤ちゃんの心臓が止まってる。
ってわかってから毎日泣いてた私ガーン
何も言わずに抱きしめてくれて、
頭をポンポンしてくれた。

忘れものをしたから
赤ちゃんはお空に
忘れ物を取りに帰ったんだよ

なんだかいろんなところで聞く
このお話し。
別に嫌いじゃないし、
こういう考えを否定するつもりはないけれど

私たち夫婦には
納得いくことができないお話しでした

そんなこと言っても
赤ちゃんがお腹に宿って
心拍を確認することができて
嬉しい気持ちがたくさんだったのに
心臓が止まって
赤ちゃんが生きていない。

そういった現実しか認められていません

だからこそ、落とし所がなくて
私は深い悲しみの中に
ずっといるんだと思います真顔真顔

この子のことを一生忘れることはできないから


一方旦那は、
優しく私の気持ちを受け止めてはくれてるけど
一緒に病院に行けなかった
心拍を直接聴けなかった
ということもあって、
私よりも妊娠の気持ちは薄かったようです
きっと、男性なら当たり前だよね

俺はもう、割り切ってる
でも、キイナが悲しんでいる
姿を見ているのが辛い
何もしてやれないし、
どうしたらいいんだろう

自分のかなしみはきっと
私が手術をする前後でなんとか
消化したのでしょう。

毎日毎日ぐずぐず泣いてるからね
抱きしめてあげることしか
できない自分に引け目を
感じさせてしまっているのかもしれない
そう思うとこっちだって不安になる

でも今は泣かせていただきます
泣いて解決することではないのは
わかってる
いつか泣かないで過ごせる日を
待ってる。


旦那に愛想尽かされないようにしないと


きいな

眠れない時や
旦那が一緒にいない時は
いろんなことを考えてしまうので
こうしてブログを書くことにしています


今日で手術をして
1週間が経ちました。

5日処方された薬も終わりました。
ちなみに飲んでいた薬は
・子宮出血を予防したり止めたりする薬
・細菌感染を治療する薬
・痛みや炎症を抑える薬
・以上の薬による胃を守る薬
の4つです。

下腹部の痛みは最初はあまりなく、
出血が少しあった感じでしたが
1週間経った今は
下腹部痛い
出血ほぼなし
と言った感じです。

子宮が元の大きさに戻る関係で
生理痛のような痛みがあります
温めてもそこまで良くならないです…
今はそれが体的にしんどいですね


1週間経っても全く心がよくならない
どうしでもいろいろ考えてしまうので
毎日がしんどい
どうしたらいいかわからない

悔しいけれど
お腹はすく

旦那と一緒にごはんを食べる




赤ちゃんに会いたかったな





きいな

はちゃめちゃに重いタイトルですが
こうして記録に残しておこうと思います

赤ちゃんの心臓が動いていないと知ってからは
毎日が地獄のようでした。
やっと妊娠できて喜んでいて
いろんなものを買い揃えたりしないとな
と思っていた矢先のできごとで

今思えばつわりが急に軽くなった時、
そのことには赤ちゃんの
心臓は止まっていてしまったのかな
と思うとどうしてはやく
気づいてあげられなかったんだろう
気づいてあげられたとしても
どうすることもできなかったけど、

手術の日まで
お腹の中にいてくれてありがとう
と感謝するしかないのかな
と少したった今になって
思えることであります。

手術が終わってからは
旦那も仕事に行く日々で
ずっと家私1人で
精神的に不安定な日々を過ごしていました
急に泣いたり
術後1週間経ちますが未だにあります
 どうしてこんなことになってしまったんだろう

あかちゃんは
幸せだったのかな

9週2日
65日の命は
幸せだったのかな
エコー写真での大きさからの
断定なのでもう少し長く、
もしかしたらもう少し短い
命だったのかもしれない

もっと生きてほしかった
もっと愛をあげたかった

初めての妊娠で
初めての流産

私の人生からしても
いちばん
嬉しくて
かなしい
2つのことでした

妊娠初期では確率としては高い流産
多くの人が経験してるから
そんなこと言われても
正直なんの慰めにもならなくて
「どうしてわたしばっか」
なんて悲観的にはならなくて
なんて言ったらいいのかわからないけど

この悲しみは
一生背負う悲しみだ

業 (ごう)というわけではなく、
どうしても消えることない
大切で世界一辛い思い出
として絶対に忘れないんだろう

でもどうして
生きることが
育つことができなかったんだろう

現代の医学ではどうすることも
できないことはわかってる
でも どうして
って納得いかないことばかり


妊娠がわかってから出血が止まらなかったり
切迫流産の危険があると言われたり
心拍がわかってから、大量出血したり
赤ちゃんの生きる環境が
よくなかったのかもしれない
でもそれって私の体が問題なのでは?
でも一般的には
赤ちゃんの染色体の異常
染色体異常が決まるのは受精した瞬間だ
っていうけど
もうそういう運命だったってこと?
生まれてこない運命なんかあるの?
こんなに会いたかった我が子に
直接会えない
それがこの子の運命なの?

考えれば考えるほど
自分のせいで
でもどうしようも出来てなくて
ぐるぐるぐると
答えの出ない悲しみの渦に
ずっとずっと
深く深く沈んでいく

会いたかったな
この手で抱きたかった

名前も決めてなくて
戸籍もない
だけど私たちの子どもだよね

早くお腹に戻ってきて欲しい
そんな気持ちもあるけれど、
またすぐに別れがくるかもしれない
と思ってしまうと
新しい一歩なんて踏みだす勇気が出ない

もちろんすぐに切り替えなんてできない
今は毎日
悲しみに暮れるくらいがいい

きいな

 
いよいよ手術の時間です

旦那が休みを取ってくれたので
病院前まで送ってくれました。
多くを語らず、手をぎゅっと
握って送り出してくれました。

いつも嬉しい気持ちで
通っていた病院に
今はとっても悲しい気持ち
で向かっていること
切ないなあ
なんて思いながら思い足取りで
向かいました。

診察室の奥に通されて手術着に着替えました
静脈の血管を拡げる点滴をさして
その間、看護師さんが
「待ってる間は痛み大丈夫だった?」
ってラミセル入れた後の
心配をしてくれていた

無事に針が刺さって腕に透明テープを貼り
あ、なんかこれ見たことあるなあ
と少し冷静になりました。

じゃあ、向かいましょう

手術台のある部屋に向かいました
そこはいつもの診察室でした

あ、おんなじ部屋なのかそうか
もうなんだか無の境地でした

手術代に上がると看護師さんが
手際良く私にいろんなものをつけました

左腕には血圧計
右手には血中酸素計
胸には心電図

ああ、始まるんだ

先生が来て、足を固定された


エコー、見てみますか?

赤ちゃんの最期を見ました。
あ、やっぱ動いてないんだ。

そう思って泣きました

「じゃあ、初めて行きますね」
「麻酔入れますね、押されるような
感じあると思います」
あ、ほんとだ

そうして天井を見ていると
ぼやぼや〜としてきて
ふんわり夢の中にいく感じで眠りました

ぼんやりと意識が戻ってくる時、
手術台から移動して、ベッドに運んでいる声がしました。
運ばれてるなって思ったけど
すごい他人事だった

1時間ほど眠っていた
体感はもっと寝ていた
定期的に血圧を測られているのはわかってた
名前を呼ばれて
「あと30分くらいしたらお手洗い
行ってみましょう」
と言われ秒で寝た
起きたら30分経ってた。
ずっとふわふわしていた

うまく起き上がれなくて起こしてもらって
ゆっくり歩くけど
うまく進めなくて
点滴のガラガラ頼りに歩いた
出血もほとんどなかった

診察をして4種類くすりをもらった

注意点や今後について話した

「今回は流産という結果になってしまったけど
ちゃんと妊娠できる体なのは
証明されているから、
もし少し経ってまた赤ちゃんのこと
考えられたらお手伝いは
できるからね」

って、
何年後の話なんだろうか
そう思った。


帰り道は1人になってた
ぽっかり空いてて
なんだか体が軽くなった気がした
泣いて帰った
旦那がすぐに迎えにきてくれたけど
寂しくて寂しくて仕方なかった。

旦那からの
おかえり
の声が暖かくて
もうどうしたらいいかわからなかった


きいな






いよいよ手術当日のお話しをします。
多くの人が乗り越えてきた事だと
思うのですが、
私にとっては生まれて初めてのことで
生まれて初めての手術が
流産の手術
だなんて誰が想像できたでしょうか。

9時にラミセルを挿入しに行きました
閉鎖している子宮頸管を拡張させる
硫酸マグネシウムの事ですが、
まあこれが痛いのなんの
奥に器具がぎゅっと押し込まれて
ちくちくしてしかもそれが何回も
痛い痛い…うわあああああ
本当にずっと言ってました
そうでもしないと乗り越えられなかった

なんとか挿入後は
恐ろしいほどの違和感
歩けない…なんか抜けてしまいそうな感じ
腰を曲げておばあちゃんみたいな
感じで病院を一度出ました

トイレに行きたくなるのに
抜けてしまいそうでうまくトイレに行けず
動くと少し痛みがあって
不安になって電話したりしました

もし痛みが強くなったら
早めに手術を行うから
すぐ電話してきてね

少しなれてきたときに判明したのですが
痛みよりも違和感
の方が強くて脳内が勘違いを起こしてた

14時に再度病院を訪れ、
子宮内容
除去手術

始まってしまいます。
赤ちゃんとしてではなく、
内容物
というものになってしまうのが
たまらなくしんどかった

手術については
次の投稿にします

きいな


このタイトルでピンと来た人も
いるとは思いますが、
悲しいお知らせの方です。

稽留流産
しました。

この辛い気持ちを吐き出す場所を求めて
アメブロに戻ってきた
って感じです。

年齢的にも少し焦りも出てきて、
半年以上、避妊せず行為をしていて
赤ちゃんが来てくれず焦っていた矢先に
来てくれた赤ちゃんでした。

最初から切迫流産の危険性があります
とお医者さんに言われ
不安で毎日泣いていたけど、
心拍をしっかり聞くことができて
お医者さんも何週間も時間をかけて
「母子手帳、もらってきてください」
って言ってくれたのに、

大きく育つことはできませんでした。

旦那と一緒に母子手帳を貰いに行って
お互いの両親に妊娠を伝えて
職場にも伝えて配慮してもらって
もう少しで12wの壁を乗り越えられる
って思っていたのに、

母子手帳をもらって3週間後にあった
初めての妊婦検診のときには
赤ちゃんの心臓が止まっていました。

11週の大きさになっているはずなのに
9週2日で止まっている。
心拍も聴こえなくなっています

「エコー、見てみますか?」

即答して見せてもらった。

前回までに聴こえていた心拍の音は
そこにはなくて、
ザー…という雑音のみが響いた

残念だけど、今回は
流産ですね

日にちを見ると、母子手帳をもらった
数日後には心臓が止まってしまっていた

毎日毎日つわりがあって、
「つわりがあるってことは
ちゃんと赤ちゃんが生きてくれている
証拠」
そう信じていたのに
そうじゃなかった。

妊娠初期、12週までの流産の確率は少し高くて
それ以降は低い確率
少し高い確率を引いてしまった

どうして

初期の流産は
受精した段階で決まってしまう

逃れることのできない運命だった
そう頭では分かっているのに
受け止めることなんてできなくて、

初めて宿った命は
生まれて来ることもできずに、
この手で抱くこともできずに、
遠いところに行ってしまった。

悲しみに溺れる日々でした。



びっくりするほど、ひさしぶりに
更新をしました。

どこまでお話ししていたのか
全くもっておぼえていません。
なんならどうしてこんなに急に
更新をしたくなったのか
不思議なくらいですw

気持ちあらたに、かいていこうかなと
思っています

今日はお仕事がお休みで
家電量販店に行きました。
Bluetoothのキーボードを買いました。

おしごとには特に関係のないアイテム
なのですが、
キーボードを押す感覚が好きで、
どうしても手軽に味わいたくて、
本当はスリコの安いのが良かったのですが
残念ながら売り切れ?で
出会うことができませんでした( ;  ; )

でもでも、ELECOMさんの
Bluetoothキーボード、
とっても使いやすくて、いい感じです
なのでアメブロもまた少しずつ
復活していこうかな
なんて思っています。

フリック入力に飽きてきたそんな
わたしでした。
近況というか、今日の出来事でした。