2021年7月、第165回芥川賞候補作として小説「氷柱の声」が選出されました。


作者の誠実で丁寧な文体や、弱者に寄り添うことへの執念的な考察が評価され、大賞受賞には至らなかったものの、本作は大きな話題を生みました。

そして、会社員との二足わらじを履いた専業作家でもある、作者のくどうれいんさんは、二十代半ばに

して人気作家となりました。



ですが、くどうれいんさんは自身のエッセイ「虎のたましい人魚の涙」にて当時の心境をこう語っています。



「どこでもいつでも寝られると自称するほど睡眠で悩んだことのない私が、芥川賞候補になってはじめて、眠れない、寝ても悪夢を見る、という状態になった。」


「候補入りしてから様々な人に掛けられる声がすべて重荷だった。」



私はこの文を初めて読んだとき衝撃を受けました。


芥川賞というのは、すべての作家にとって大きな存在であり名誉ある賞だと思っていたからです。


ですが、くどうれいんさんは候補に選出されてから、身近な人に「先生」と呼ばれたり、一方的に「期待しています」という声をかけられたりしてしまいます。


もちろん、賞を受賞したことへの喜びや、それに対するお祝いの言葉もあっただろうと思いますが、当時のくどうれいんさんは周りの人の勝手な声に苦しみ、更にそんな自分自身に対しても不甲斐なさを感じていました。



おそらくほとんどの人が、周囲からのプレッシャーに苦しんだ経験があると思います。

そのプレッシャーからくる焦りが成功をもたらすこともありますし、逆にそれに応えることができず心が潰れてしまうこともあります。


「周囲の期待は、あなたに重くのしかかるものではなく、あなたの背中をそっと押してくれるものである。」という言葉がありますが、自分の望まぬ場面で背中を押されたり、その期待が一方的で無責任なものであったりしたとき、人は光栄さを感じる前に苦しさを感じてしまうのではないでしょうか。


そして私は、同じエッセイでくどうれいんさんが綴った、

「どのみちぜんぶ当たりのあみだくじなのに、わたしのゆく道を勝手に実況したり解説したり感慨深くなったりしないでほしい。」

という文を読んで、自分の体験を思い出しました。




中学生の頃の、校内弁論大会での話です。


当時、中学三年生だった私は、コロナ禍を経て学んだことについてスピーチし、学年投票により三年生の代表に選ばれました。


学年代表者は文化祭で全校生徒の前でスピーチをしなくてはなりません。そんな大勢の前でスピーチした経験もスピーチできる自信もない私は、代表に選ばれたとき非常に憂鬱な気持ちになりました。


それだけではなく、学年発表会での私の発表を聞いた同級生から「おまえは俺らの気持ちを代弁してくれたよ」と声をかけられました。


私はその瞬間とても嫌な気持ちになりました。


そのスピーチで話した内容は、自分が感染拡大による休校を経験したときから感じていた違和感を、試行錯誤しながら言語化したものです。


そんな大切な「自分の言葉」を、彼は勝手に「自分たちの言葉」として扱いました。


その時の悔しさや怒りは、どこに向けることもできず、中学生の私は、ただひたすら全校発表に向けてスピーチの練習をすることしかできませんでした。



もちろん、学年代表に選ばれたことに対する嬉しさや、報われた気持ちはありました。


それでも全校発表に対する愛鬱さや、半ば無責任な同級生たちへの不満を拭えないまま、私は本番を迎えました。


結果私のスピーチは最優秀賞に選ばれず、下級生より下の一番下の賞を受賞しました。



今思えば、その時の私はとても緊張していて、言葉が詰まることこそなかったものの、手や膝が震えていて、とても百点の出来とは言えない発表でした。


ですが当時の私はそのことを認めることが出来ず、学年予選会の後で「よかったよ!」と声をかけてくれた同級生たちに不信感を抱いていました。


このようなことから、私にとって弁論大会は、私にとってあまりいい思い出とは言い難い形で終わりました。



中学生であった私は、くどうれいんさんと同じように、周囲からの無責任な言葉や重圧に苦しみ、自分が満足のいく結果を残すことが出来ませんでした。


ですが、くどうれいんさんは、後にブログで自分の作品を候補に選んでくれたことに対する感謝の気持ちを綴っています。


私は「果たして自分は、自分のスピーチを褒めてくれた先生や友人に対して、感謝の気持を一度でも持っただろうか。」と、自分自身に問いかけました。



くどうれいんさんは、この「虎のたましい人魚の涙」というエッセイで、周囲の声が与える重圧に苦悩し、それでもその中で自分がなりたい姿を「うどんオーケストラ」と称し、自身が前を向いていく過程を示しました。


この作品はあくまでエッセイであり、主人公が読者へ強いメッセージを与えるストーリー物ではありません。


それでも、自分は「虎のたましい人魚の涙」を読んで、くどうれいんさんがもがき続ける姿を自身の経験と重ねるとともに、自分がどうありたいのかを模索していく態度を、学ぶことができたように思います。












↑ これ僕が去年くらいに書いた『虎のたましい人魚の涙』の読者感想文です。



なんか学校に「提出しろ!」って言われたから提出したら、なんのコメントももらえなくて寂しかったやつです。


誤字やら言い回しをちょっと変えたり、原稿用紙の関係で、最後の方がかなりキュッとなってたのでちょっと足したりした以外は、去年書いたやつそのまんまなので大丈夫です。



あとブログ風の文にするため改行とかもしまくりました。


ブロガーは改行が仕事ですから。



これをくどうれいんさんが読むと思うと緊張しますけど、満足です。



コピペするだけなんで、今までで一番楽なブログでした。