最近ずっと自炊をしているんですが(えらい!この後に続く文章がどんな内容であろうと偉いことには変わりない!!!!えらい!!!!)、カット野菜と豚こまくらいしかなかなか買えないので、あんまり上達しません。たまにちゃんとした野菜を一個買ってみて、それを使って料理してみようかなぁなんて思うんですが、そんだけ手間暇趣向こらして食べるのがどうせ自分のだなんて思うと、じゃあもう適当でいいやってなっちゃってます。雨が続きますね。

 

今日はくどうれいんさんのエッセイ集『うたうおばけ』に収録されているエッセイ「雪はおいしい」の話をしようと思います!いいでしょうか!!???

 

 

僕がくどうれいんさんの文章を読んでいてある意味一番実感を持って共感するのが、雪の描写です。ぼくも豪雪地帯の出身なので(んで大学のために一人暮らししてるのも雪が降る街。どういうつもり?)、幼少期から全身で感じていた雪の質感をくどうれいんさんが言語化してくれることで、自分自身のおぼろげな思い出の精細度が上がる感覚がします。自分でも何言ってんのかわかんなくなってきた。

 

とにかく、くどうれいんさんの雪の描写は、長靴で雪を踏みしめるあの感覚や、友だちと雪合戦しながら帰ったときの指の冷たさを思い出させてくれます。

 

 

 

題のとおり、このエッセイではくどうれいんさんが幼少のみぎりに(難しい日本語を使うことに成功!今後も難しい日本語を使うチャンスがあればガンガン使っていきたいです!!!!)通学路に積もっていた雪を食べた思い出の話をしています。

 

たしかに雪国の子どもたちは少なくとも一回は雪を食べますよね。

 

「今思い出してもあれはふざけてなんかいなかった。とても神聖な気持ちで雪に触れ、触れた雪を夢中でむしゃむしゃ食べていた。」ともありますが、なんか本当にそんな感覚があったような気持ちがあります。

 

 

ふざけて、というよりも純粋な好奇心というか、本能に吸い寄せられてその雪を口にしてしまうのが子どもですよね。僕も昔、大雪の日に庭で雪遊びをしていると、おばあちゃんがミカンを持ってきてくれたので、そのミカンと雪をあたかも”そういうスイーツ”みたいに一緒に食べた思い出があります。そのとき僕は「きっと缶詰のマンゴーみたいな味がするんだろうなぁ」と思いながら食べたんですが、やっぱりただのミカンの味と、冷たくて溶ける砂利のような食感しかありませんでした。

 

別にくどうれいんさんに反論するというわけではないんですけど、個人的に雪はほんとうにおいしいものじゃないです。おぇってなるものでもないんですけど、「外」の味って感じです。「外」味のアイスがもしあったならあんな味なんだろうなぁって感じです。僕はチョコモナカのアイスが好きです。

 

そもそも雪って結構汚いので、成長しちゃった今はもう雪を食べることにそこはかとなく抵抗感を感じちゃったりします。それでも、くどうれいんさんが本文でおっしゃっていたように、雪を食べようとする子どもを「ばっちぃからやめなさい!」と叱るのは、なんだかとってもナンセンスというか、頭の中がお花畑じゃなさすぎるような気がします。ほんとに病弱な子だったり心配だったりしたらいいけどね!!!!!

 

やっぱり、子どもが雪を食べるというのは、お食い初めとかにも似たなんやら神聖な儀式のようにも思えます。

 

 

最近エコを意識して、詰め替え用の洗剤を購入したんですけど、入れ替えた後に残る「詰め替え用洗剤が入っていた袋」も結局捨てなきゃいけないものにしてはなかなかに豪勢な包装のような気がしてきて、もったいないおばけと同居しちゃってんな、と思いました。事故物件ってか。そうか?