大人になる前に-18 | もうひと花咲かせます

もうひと花咲かせます

『妻が夫を捨てるとき』の花子と息子吾郎の
その後・・・のおはなし

時が経ち、季節が流れ、寒い冬がやって来た。

楓は、相変わらず忙しい日々を送っていた。

家にいても、なんだか電話が鳴っているようなそんな錯覚に陥ることがあった。

毎日、事務所の電話はひっきりなしに鳴る。

電話を切っても、また別の電話が鳴る。

家にいても、スーパーで買い物をしてても、どこかで電話が鳴っているような錯覚に陥ることがよくあった。




職業病ってやつかな。

疲れてるんやな。

そういえば、ずっと食欲ないし、体重もずいぶん減ったし。

なんか、なんにもやる気せんし。

ただ眠っていたい。

疲れた。




身体が疲れ切ってると、頭の中には「休みたい」ということしか浮かばない。

休みの日は、ほとんど寝て過ごすようになった。

部屋の真ん中に寝そべって、天井を見上げた。




私、この世でたったひとりぼっちやん。




ふと、そんな気がした。

静かな部屋にたったひとりでいると、本当に世の中に自分しかいないのではないかと、そんな気がしてならなかった。




TVをつけてみた。

何を見ても、何も感じない。

だけど、あるCMが流れたとき、なんだか自然に見入ってしまった。

それは、家族ですき焼きを食べているシーンだった。




横になったまま、ボーッとすき焼きを見つめていた。

すき焼き、食べたいなぁ・・・




そのままいつの間にか眠ってしまっていた。

目が覚めると、外はゆうやけ色に染まっていた。




たくさん寝たせいで、腰が痛い。

おなかがすいた。

そういえば朝に食パンをかじっただけで、何も食べてない。




パスタを茹でた。

レトルトのたらこソースをかけて、たらこスパゲティーの完成。

のろのろとフォークを入れて、ゆっくりそれを食べた。




そこへ、勇作から電話がかかってきた。

毎日どちらかが、電話をかける。

今日1日の出来事を報告する。




「今日は、1日寝とったよ。ううん、どこも行かんかった。疲れとってさ。

うん、大丈夫大丈夫。うん、うん。」




勇作は、仕事で新しく知り合った人とすごく気が合って、最近楽しいと話していた。




「私さぁ・・・今めっちゃ、すき焼き食べたい。」




「すき焼き?食べたらいいやん。」




「ひとりですき焼きしても、美味しくないやん!

一緒にしたいの!勇作と、一緒に。

今度、しようね。」




「おう、分かった。」




すき焼き・・・

食べたいなぁ・・・




ひとりでは食べられないもん。

誰かと一緒じゃなきゃ。

勇作と一緒じゃなきゃ。




勇作と電話で話して、少し元気が出た。

たまっている洗濯物を洗い、部屋に掃除機をかけた。

急にエンジンがかかってきた。

シーツも新しいものに交換し、取り替えたシーツは洗濯機に放り込んだ。




そのとき、ピーンポーーーンとドアのチャイムが鳴った。



こんな時間に誰?

新聞の勧誘?集金?宅配便?



楓はこういうとき、居留守を使うことが多い。

ひとり暮らしの場合、夜に人が訪ねてくるのは、けっこう怖いものだ。



ピンポン、ピンポン、ピンポーーーン。



しつこくチャイムが鳴る。

なるべく音を立てないように、じっと静かに、敵が去るのを待つ。




「おい!開けろって!俺たい俺!」




「はっ???勇作???うそ!!!」




ドアの覗き窓から外を見ると、勇作が立っていた。

楓はすぐに鍵を開けて、チェーンを外した。




「どうしたの???」




「ほら、これ。」




大きな買い物袋を渡された。

牛肉のパックと白ねぎが顔を出している。




「何?」




「お前、すき焼き食いたいって言ったやろ?

やけん、ほら、それ。

一緒にすき焼き、食おうぜ。」




「えっ?それでわざわざ来てくれたの?ホントに?」




「いいから、早く作って食べようぜ。腹減った。」




「うん。」





信じられない気持ちと、驚きと、うれしさと、感動で、楓は胸が熱くなった。

2人で食べるすき焼きは、最高に美味しかった。

この味は、一生忘れられないだろうと思った。




楓は、そのとき気がついた。

すき焼きが食べたかったわけじゃない。

こうやって、勇作と2人でご飯が食べたかったんだ。




ひとりぼっちは淋しい。

でもそんな淋しいって気持ちを素直に言えない楓のことを、勇作はちゃんと分かっていた。

だから、こうやってすき焼きセットを持って、車飛ばして会いに来てくれたのだ。




楓は、すき焼きを食べて、心も身体も満たされた。

勇作のおかげ。

いつだって、楓のビタミン剤は勇作だった。




~つづく~







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