2週間前、私にとって
すごくショックなことがあり
不安に飲み込まれていた。
何をしても落ち着かず
もう、こんなに不安になるのなら
全てがなくなっちゃえばいいのに、、、
ぐらい追い詰められていた。
今ここ、を意識してみても
2秒で不安に飲み込まれ
しんどかった。
期待を手放す
と、自分に言い聞かせたり
そもそも色々あるのが人生じゃんか
など、悶々と永遠に頭の中でおしゃべりが繰り返されていた。
そんな苦しい中でも、
できることをやろうって
たまに思えた時があって
価値ある行動を選べる時間もあった。
今回、私を支えた行動は
ヨガの先生に習った呼吸法。
お腹の真ん中に
黄色いひまわりをイメージして
「信頼」「信じる」と心で唱え息を吸う。
そして、
フウーーって口をすぼめて、恐れの感情を吐く息とともに出す。
イメージを使った呼吸法。
これを繰り返すと、
脳と体がスッキリと気持ち良くなってきて
心が安定してくるのだった。
そうすると
次は、どんな価値のある行動を取ろうか?
と、次のステップに進めることもあった。
とても
心が苦しい中、非常に切羽詰まっている時に、
やみくもに
価値のある行動をとることや、
前に進むことが、
正解ではないのかもしれない。
十全に
苦しみに寄り添って、
悲しみに明け暮れて、
怖い思いに震えていいんだ。
それを、体感しまくって
悲嘆しまくって
絶望に溺れまくっていい、と自分に許可を出せたことも
気持ちをいくらか軽くしてくれた。
無抵抗
のような領域。
争わないことの心地よささえ感じた。
しかしながら、荒れ狂う嵐が過ぎるのは、とても長く感じられた。
ただ、私はそんな嵐の中で、ちょっと思ったのだ。
最悪のことばかりを想像しているけれど、
本当に、本当にそう思ってる?
ただただ、心配したいだけなんじゃないか?
ただただ、長年の癖で、こういう時、不安のプールに自分から溺れに行っていないだろうか?
って。
私は、とても頑張ってきた。
頑張るベクトルが違うというのならば、それはしょうがない。
でも、私は、いつだって、自分に正直にやってきた。
自分が納得することを、心を込めて選んできた。
たまに、人様に迷惑をかけたこともあったかもしれないけど、
それぞれの時に、精一杯、愛情を持って力を尽くしてきた。
そう、私は誠意や愛を大事に、ここまで歩いてきた。
そんな私に、神様から贈られるもの、それは受け入れようと思ったのだ。
昨日、私は、とてもとても、幸せな贈り物をたくさん受け取った。
精神的にも肉体的にも
とても辛い思いをした先に、
(それも自分で作った悲劇ドラマだったのかもしれないけれど)
それ以上の、周りの方からの思いやりや、支えてくれる人から愛を
本当の意味で、受け取れたのだ。
そして、
何より、
私が私自身を信頼していいんだ、という感覚を
体の中に芽生え始めたのを感じた。
自分が大っ嫌いで
自分に自信がなさすぎて
自分を見たくなかった、見られなかった
そんな私が
多分初めて、頭でなく、
体の感覚と、心の中で感じられる
『信頼』というもの。
あの苦行が、この信頼につながっているのならば
私は、この世界を
恐れでなく、
愛として見ようと思う。
そして、すべてのことに、
今ここで、感謝できる自分に、
ありがとうと言う。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。



