令和3年の祇園祭、ほぼ日程終了。 | コバやんの祇園祭レポート&雑記帳

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京都・祇園祭の山鉾町で生まれ育ったおっさんのブログです。

いつのまにか7月も28日。

なんで2週間も更新が開いちゃったのだろう。オリンピックのせいかしら。

 

山鉾町では例年、後祭の巡行が終われば、7月31日の疫神社「夏越祭」への出席を残すのみとなるのですが、今年も各山鉾町の代表の出席は控えられ、連合会から数人が出席するだけ、ということで表立った日程は終了したことになります。

 

さて、7月12日に函谷鉾では車掛けが行われ、四条通に例年通り姿を現しました。

山鉾連合会から「曳き初め中止、巡行中止」の取り決めもあり、囃子方が乗った状態で動かすことはできませんでした。他の町内では動かした保存会があったそうですが、取り決めは取り決め、守らなければ「取り決め」の意味がありません。

 

13日からの鉾囃子でもソーシャルディスタンスを取って、普通7挺吊るす鉦の金具のから1人分開けて、鉦方は4人。笛方も間隔を開けて4人。太鼓方はマスクを着用して1.5mほど開け、曲の呼び出し役も普段の位置から1mほど後ろの真木の前に陣取ったため、普段の半分の音量でのお囃子で、時間を決め、ローテーションで鉾に乗り込みました。

2年ぶりに乗り込み、バチを握ったとき、涙が出そうになりました。

鉾の上でお囃子ができる喜びがこみ上げ、バチを握る手に力が入りました。

 

14日からは郭巨山のチマキ授与も始まりましたが「午後7時で活動終了」の通達により、まだ明るいうちに終わりました。

お囃子も午後5時~7時、ということで、普段7時から始めるのに、5時からでは子供はともかく社会人はキツいし、逆に密を避けるために時間と参加者を限定する対応など、例年と全く異なった宵山期間でした。

 放下鉾

函谷鉾の宵山恒例「提灯落とし」も実施か中止か議論が重ねられ、結局、密を避けるために中止となり、一列ずつ、静かに下ろされました。

 

17日は「巡行中止」「御榊巡行」ということで今年は各山鉾の代表とクジ渡し役の2名が御榊巡行に参加することになり、郭巨山の今年の副行事役(神事係補佐)を勤める次男がクジ渡し役として出るため、午前7時半からオレンジママが裃の着付けをしました。平成15年(2003)の私の副行事役以来18年ぶりの裃の着付け。ネット動画を見ながら、思い出しながら、なんとか30分がかりで完成しました。

次男は15日に2回目のワクチンを接種(私のかかりつけ医でキャンセル待ちをお願いしていました)したので副反応が心配でしたが、全く出ず、神様のご加護とありがたく思っています。

 

町会所で「切り火」を受け、皆に見送られて出発しました。

 

集合場所の四条烏丸、函谷鉾では普段の囃子方と違って裃姿で、皆様に温かく迎えられ、

9時に四条烏丸を出発は例年通り。ただし山鉾の供奉ではなく皆で行進。

函谷鉾でお囃子に見送られ、長刀鉾ではお囃子で迎えられ、行進は静かに前へ。

四条堺町での「クジ改め」では“紋付”姿の“市長”にクジを渡し、

(例年なら“奉行”なので“烏帽子大紋”)

四条寺町の八坂神社御旅所で本社に向かって遥拝

(神様がまだ出て来られてないので本社=東に向かって遥拝します。

 24日の後祭では神様が出て来られているお神輿=南に向かって拝礼します)

帰り道、函谷鉾の前でパチリ。

11時ごろ帰宅してから次男はお仕事。コバやんは函谷鉾へ。

12時30分から巡行日の最後の鉾囃子です。

彬子女王殿下が函谷鉾を見に来られ、その前でのお囃子でした。

(お写真は控えさせていただきます)

 

そして17日午後からは2年続きでお仕事。

翌18日のお昼、営業日ですが時間を作って御旅所へご献酒料を届けに行きました。

昨年と同じく神霊を遷した御榊が鎮座されていました。

 

18日から後祭の北観音山、南観音山、大船鉾が建てられ始め、

19日には北観音山、南観音山の真松が建てられます。

京都市北部(京北町とか)運ばれた2本の真松。

北観音山、南観音山の代表が先ずジャンケンで本クジを引く順番を決め、

本クジでは縄の長い方を引いた町内が先に松を選びます。

今年はジャンケンも本クジも北観音山が勝ち、先に松を選ばれました。

ただし、選んだ松の“恰好よさ”は「建ててみないとわからない」そうです。

ちなみに北観音山の松の枝には尾長鳥が、南観音山の枝には鳩が止まっています。

 

7月22日は朝から郭巨山の「勘定寄り合い」

1万円札から1円玉まで枚数を数えて収入を確定して、支払いも全て済ませます(請求が遅れるのは多少ありますが)。

このあと、大船鉾さんから「舳先の龍の金塗り完成のお披露目」案内状により郭巨山役員で見学に行きました。陽に輝く龍を間近で見せて頂きました。

22日はまた、御神霊の御榊が明倫学区、本能学区を回られる日で、休憩場所の本能学区役員さんからのご依頼で「お囃子で迎え、送る」出張囃子に函谷鉾が向かいました。

これが今年最後の浴衣でのお囃子で、終了後に浴衣をクリーニングに出しました。

 

23日、後祭の宵山。仕事の合間の1時間足らずの間に巡ってきました。

犬も歩けばなんとやら。出会った人と話し込んでしまい、汗だくで店に戻りました。

24日は後祭。山鉾の御榊は旧コースの三条通を東に巡行されました。

夕方の還幸祭。例年なら大勢の輿丁の「ホイット、ホイット」の掛け声も勇ましく素戔鳴尊の乗られる中御座のお神輿が通られて、お向かいの旗屋さんで休憩されるのですが、今年も小規模の御榊の巡幸です。神宝行列は例年通りですが、3基のお神輿も1体の御榊に集約され、中御座の三若、東御座の四若、西御座の錦の神輿会の代表が数人ずつ帯同されていました。

 

郭巨山では8月8日のお昼ごろに八坂神社へ古いチマキを納めに行く予定を残すだけです。

 

話題を2題。

洛を旅する「らくたび」さんの記事で函谷鉾が取り上げられました。

https://plus.kyoto.travel/entry/gionmatsuri_kankoboko

 

KBS京都とBS11で「2021祇園祭スペシャル ~次世代へつなぐ技と心~」という番組がオンエアされます。

オリンピックも日本選手が活躍され、楽しみな日々が続いています。