立春を過ぎて | コバやんの祇園祭レポート&雑記帳

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京都・祇園祭の山鉾町で生まれ育ったおっさんのブログです。

「立春は二十四節気の1つで、冬至と春分の中間にあたり(節分は立春の前日)、この日から立夏の前日までが暦の上での『春』となります」とは言うものの、立春を過ぎてからのこの寒さは!!
節分は寒さも和らぎ、壬生寺への道中も気楽に行けたのに、雪は降るは、霰は降るは。ブルッ。
 
でも、この時季、結構好きな時季なんです。だって、大好きな歌「早春賦」の時季だもの。
 
早春賦
春は名のみの 風の寒さや。   春とは名ばかりの風の寒さよ!
谷の鶯 歌は思えど       谷に住む鶯も、春の歌を歌いたいとは思うが、
時にあらずと 声も立てず。   まだその時ではないと思って、声も立てない。
時にあらずと 声も立てず。     

氷解け去り 葦は角ぐむ。    氷は解け去り、葦は芽をふくらませる。
さては時ぞと 思うあやにく   いよいよその時かと思うと、期待に反して、
今日もきのうも 雪の空。    今日も 昨日 も雪の空が続く。
今日もきのうも 雪の空。      

春と聞かねば 知らでありしを  暦は春だと聞いていなければ、知らないでいたのに
聞けば急かるる 胸の思いを   聞いたからこそ つい春を待ち焦がれてしまう
いかにせよとの この頃か。   いったいどう晴らせという、
いかにせよとの この頃か。   今日この頃の季節の進みのじれったさだろうか!
 
大正2年(1913)に発表されたこの曲は長野県安曇野あたりの早春の情景をうたった歌とされ、
暦では「春、立つ」とはいえ名ばかりでまだ寒く、氷が解けて春がやってきたかと思うと、また雪の日々。春の訪れを待ちわびる山国の人達の心がよく表れています。
作詞の吉丸一昌は明治6年(1873) 大分県臼杵市 生まれ、文部省唱歌編纂委員でしたが42歳で逝去。作曲の中田章は明治19年(1986)東京都生まれ、45歳で逝去。次男喜直は「夏の思い出」「雪の降る町を」「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」などを作曲しました。
 
我が家の沈丁花もようやく蕾が膨らみかけて、あの“馥郁たる香り”を奏でる準備。
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沈丁花が咲くと、待ってました!春一番!
あの少し湿った、ほのかな温かみの空気。これも大好きな雰囲気です。
 
先日、半年に一度の献血に行って来ました。
1月20日に行ったら、通風の薬を朝に服用していたのでアウト。
27日に朝の服用を昼に回して、開店?早々の午前10時に行ってきました。
係りの人がHP用の写真を撮られ、アップされたのが
京都府赤十字献血センターのHP、ヘッドラインのAction in 献血会場、献血ルーム四条、1月29日:京都府理容生活衛生同業組合の献血協力、で恥ずかしながら顔を晒しました。
 
1週間後に送られてくる成分表。 
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コレステロールが見事に下がっています。いままでは標準ギリ・セーフだったのが余裕の193!
 
痛風でプリン体の多い食品を避けているのも一因ではありますが、
毎朝、女房が作ってくれて、朝食前に飲むのが「スムージー」
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バナナとキウィと小松菜と牛乳をミキサーしたもの。
毎日飲むものなのでバナナは5本で128円、キウィは5個390円、小松菜は1束138円。
これで5日分。お通じもよくなります。
 
そして、2月5日の火曜日。京都新聞文化部の記者さんが来られて「毎月第二土曜朝刊のコーナー『kyouto漫歩計』の取材で『京都の通りの角に理容店が多いのはなぜか』を取り上げたい。取材を進めていると何人もの理容店さんが小林さんとこへ挨拶に行くように、と言われるので、取材の最後で申し訳ないが来ました」とのこと。
お祭り関係で宗教記者クラブの記者さんやそのOBさんにはよく取材されるのですが、文化部はあまり覚えがありません。お客様も居られなかったので1時間ほど業界のお話をしました(もちろん祇園祭のこともね)。
ということで2月8日付京都新聞朝刊がまだお手元にあれば見てやってください。
ちなみにコバやんの写真は掲載されてませんが、記事の最後にチョコッと登場します。
 
さて、新年、初えびす、新年会、節分、確定申告、各種団体の総会と続くと、沈丁花も梅も桃も春一番も楽しむ間もなく桜が咲くといよいよ祇園祭の準備が本格化します。
毎年、郭巨山の手ぬぐいの図案で悩まされますが、今年は函谷鉾の小冊子の記事がまだ検討中でお尻に火がついています。
 
そして今年は後祭の巡行が復活。
前祭の地域の山鉾町にはとくに影響はない。と思っていたら、連合会分担金がアップになるとか。
後祭巡行に警察の協力が得られず交通整理に警備員を自主配置せねばならなくなり、その費用を全山鉾町が分担するそうです。それも「ちまき収益の応分」とかで四条通近辺の町内は数十万円の負担増になるらしいです。どのような算出法かわかりませんが、郭巨山の場合ちまきは500円で御分かちしているので本当に数十万円ならちまき収益のほとんど(あるいは足らない)を差し出し、なんにも残らない計算となります。直接聞いた話ではないので、どこまでが本当なのか心配です。
ちなみに現在、耳にしているのは
後祭の巡行は7月24日。前祭の巡行路の逆コース。クジ改めは御池通高倉の御所八幡宮前。
後祭の山建ては7月18日以降。
後祭には夜店は出さない。
後祭の山でも前祭の期間中に会所でちまきを御分かちする町内が多い。
後祭の巡行順は橋弁慶山、北観音山、山3基(クジ順)、南観音山、山3基(クジ順)、大船鉾。