ここででたパフォーマンスは、いままで積み上げてきた練習の表れ。
たとえ流したとしても、流さなければいけない理由を作ったのも練習の表れ。
そのパフォーマンスを最高の物にし、周りのみんなを笑顔にすることができることが確かにベストなのかもしれない。
でも、僕はこうも思う。
まわりで見ていてくれた人たちが、自分と同じ気持ちになってくれていたとき。これはどいうこと?
それが、たとえ「悔しい」という思いだとする。
その悔しさをみんなが「悔しい」と思うとする。
なぜ、周りのみんなが悔しいと思う?
自分のことを認めてくれたひとが「悔しい」ということを同じように思うのではないだろうか。
認めてもらいたいから努力をするのではなく、努力した結果が認めてもらえることにつながる。
そして、その人たちのためにも、この先でまた努力をすることができる。
ここまでの練習ができているのなら、自信も少しだけももっていいはずだ。
僕から見たら、そんな人を立派に思える。
しかし、このまま同じような練習・トレーニングをしていても、結果は良くならない。
新しいことだったり、トレーニングの量を増やす、工夫する、などをしこれまで以上の練習を積まなければ、自己ベストはでない。
ここが難しい。
気持ちと身体がマッチしないと練習を思うように積むことすらできない。
僕たちができることはなんだ。
少しでもしてあげられることはなんだ。
この「悔しさ」という「苦しみ」を乗り越えて成長しようじゃないか。