『キリスト教は十字架に向かって』
十字架に向かって歩むはキリストの教えた実相への教なり。
一歩一歩、十字架(真如)一の冥道へ向かって歩むはキリスト教の道なり。
これをイエスは、その身をもって示して真理の道を説きゆくなり。
ア一メンは、その十字架一如一体の体の祈りと知る事なり。
十字一体となしてキリスト教の中に永遠と示すは、キリストの教えの完成なるとは知る事なり。
この大理、太陽真如と一となす大法の体なるに、その教えの宗徒みなよく覚めて自ら、十字一如と歩みて一と至れと言うなり。
十字架即自身、自身即十字架となして大光明と至れば、ア一メンそこに極まりて天なる真の現ずるなり。
キリストの姿も、そこに実と現れ、神秘偉大なる法を示すと知る事なり。
その為にキリストは、十字架にあえてついて、その命の法諦をその身で説きて教えると知る事なり。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌