『権力』
権力を持ったからと言って人を裁くなかれ。
汝は神に非ず、同じ平等なる人と知れ。
権力に酔い溺れて自己を見失うは天下一の愚か者なり。
人が人として人を裁くは大迷大愚の証なり。
その者等みな大獄地獄は定まるなり。
その真理の道あるを知らぬに天下一の無知なる迷愚者と言うなり。
人よ、裁くと言う文字と示して教えるその道をよく見よ。
その文字の中にある衣とはなに、裁くとはその誤ちた罪と言う衣を裁ちても、命そのものを裁くに非ずなり。
その命の衣を正しく直して調いた命へと帰してやる事こそを真の裁きと言うなり。
例えば、命を一本の木とすると、その木の枝が罪と生まれたら、その枝を切ってやるのが裁きなり。
その木と言う命を根こそぎ倒してしまうのが正しい裁きでは無いと教えるのである。
その迷いた衣を裁いても、全ての命を根こそぎ裁くのが真の裁きとは言わないのである。
罪と言う心こそ、矯正して救うからこそ、そこに慈悲の道がなるのである。
この真の裁きを知らず人が人を裁くのは道とは言わないのである。
人は神に非ず、人が人をやたらと裁く行為は誤ちであると覚める事である。
慈悲をもって裁き、正しい命と帰しゆくから真実の道がなるのである。
罪の衣を裁いても、命そのものの全てを裁かない。
そこにこそ真の許しと救いがなるのである。
ゆえに真実に反して人が人を裁いてはならないと言うのである。
裁くに真実こそをもって裁く事である。
真実こそを真の神と言うのであるから。
このような当たり前も解らぬ者を道を知らない無知者と言うのである。
権力に見失ってはならない。
権力に奢ってはならない。
誤ちて人が人を裁けば、その者こそが罪人となるのであるから。
人間としての自分を見失うな、全ての人は平等と汝等は憲法としているではないか。
裁く者は人では無いのか、よく覚めてその無知より去れ。
道はそこに真理真実を教えているのだから。
人間達よ、道を命と知り、覚めよ。
神と私はその為に道と命を教えているのだから。
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌