『神秘甚深の法』
神秘甚深にして大密不可思議法は至りて知れと言うなり。
されば、神仏界、人の眼に見えなかった偉大なる世界も実と知るとは教えるなり。
仏とも神々聖霊、天使とも、みな実と会えるに、宗の真のすがたと解せるなり。
ゆえに至りて知れと教えるなり。
これ教文、教説で解するは難きと知る事なり。
釈迦も、初めにこれをして信解なすは、衆生には無理と思うなり!
禅に申して不立文字にしてただ禅となして至りて知れと申すも、これに尽きると知る事なり。
みな事実にして至りた我が、ここに実と証して教えるなり。
我、凡愚無学にして万教と開き示すも、この一事真実をあかして証さんが為の心とこれを知る事なり。
至ればみな、全てがたちまち解すと教えるなり。
ゆえに万門の正法大切にしてみな、正しく一実、真と至れと言うなり。
宗教の対立など無駄な姿と知る事なり。
そんな事より、全てが手を取り合いて真実と至る事こそが、一の大切なると知る事なり。
神仏はみなそれを待つとは知る事なり!
太陽の法嗣
大日 天光子
合掌