真実の宗教とは26 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 26』


生みなさい、全てを幸へと至らす為に生みなさい。

全てが平和に暮らせる為に生みなさい。

全てが明るく笑顔で暮らせる世界を生みなさい。

対立や差別のない世界を生みなさい。

人と人とが殺しあう世界ではなく、互いに助け合い、生かしあう世界を生みなさい。

闇と迷う世界ではなく、光の中に生きる世界を生みなさい。

今の人生は一度なのです。

地獄のような世界をつくり生むのではなく、皆が覚めて真理にそった暮らしを生きられる世界を生みなさい。

全てにとって平和の世界は人々の心次第で生む事もできるのです。

この世に裸で生まれきて、短い人生を生きて、小さな事で悩み苦しみ、憎みあい、争い生きて何故その自分達に気づかないのですか。

殺しあったり、奪いあったり、盗みあったりして何が楽しいのですか。

短いこの世を生きて、帰りゆく世界がある事に早く気づきなさい。

この世があれば、相対のあの世もあるのですよ。

此方の岸があれば、彼方の岸は必ずあるのですよ。

上があるから下があり、表があれば裏があるのですよ。

あの世への河を渡ってそこで裸にされて地獄の門と入りたいのですか。

それとも天国、光溢れた世界に帰りたいですか。

よく考えて自分の生きている姿を見つめてみなさい。

自分を知り、その無知と闇と迷う自分の姿を見直しなさい。

人生には道が純然とあるのです。

自分の道を気づき覚めた人達は、その道を一心と生きて、そこで精一杯生きて、自分の生きた人生に小さくも大きくも花を咲かせるのです。

一道を貫く事は、その道に花を咲かせる事なのです。

道端の花を見なさい。

芽を出し、大地と太陽の光と、水と風と一つになって成長し、葉をつけ、やがて美しい花を咲かせて太陽に向かって微笑んでいるのです。

太陽はその花の完成した命を見て、頷き微笑みかえしてくれているのです。

咲くと言う意味は、笑むと言う意味を教えているのです。

桜の木を見てごらん、冬に枯れ木を見せて、その枝に春の芽を育てて、春に思いきり花を満開に咲かせて、荘厳し、人々や鳥達に喜びを与え、やがていさぎよく花を散らして葉を着け、成長してゆく、実をつける木々もまた実を着けて、それを人や鳥や小さな生命に与えて満足して、また成長してゆく。

生み育て、与えるを道として生かし、生きている。

天地自然はその姿をして人々に命のあるべき道を教えてくれている。

空を見てみなさい、上に輝いているその下に、色々の相を見せている。

曇り空、晴れた空、嵐の空、台風の空、人はそれを見てなにを学んでいるのか。

その空に雲を流して人に心を教えている事にどれだけの人が気づいているだろうか。

青空は中心の心、流れる雲は常に形を変えて流れ消えてゆく。

即ち、常に無い無常の世界、心をそこに教えているのである。

すなわち、形ある雲を色と教え常に同じ形無く流れゆく相を空(くう)と教え、その姿をして、色即是空・空即是色と教え、諸行無常の世界を教え、心と命をこそ学び、つまらぬ事や、小さな事に執着するなと教えているのである。

この世界で権力を得て独裁者とな
って生きて、戦争を生み、破壊を生み、難民を生み、殺しあいをさせ、沢山の人々を迷いと、苦しみへと落とす。

それで平和と天国ができると思い違いをしている。

その無知の闇と迷って地獄をこの世に生み、末に真の地獄に落ちてゆく自分が解らずに人々を苦しましている自分が解っておらず、迷いと迷わす酒に酔っぱらっている。

みな真理の道あるを知らず、闇の中にある自分が解らず悩んだり、憎みあったり、争いたり、苦しみを生んだり生ましたりしてただ生きて、煩悩の中に生きている。

煩悩と言う文字を見なさい。

煩い悩む事を示しているのです。

よいですか、真の宗教家はその迷いの世界から自ら脱け、人々に道を教え与える為に、真理の世界と悟りを求め自ら修行して、道を得て、その修行のできぬ者達に覚めを与え、道と知らしめ、真の命と救い帰す為に生きているのであろう。

金を集めて儲ける為に宗教はあるのではない。

本来布施はその修行する者に対して自分の意思でできる範囲の事をするものであり、見返りを求めて取り引きするものではない。

布施を得る者は決して自らで要求するものではない。

布施は心でするものであり、そのゆえにその功徳があるのである。

宗教は金儲けの事業ではない。

物を高く押しつけて売るなどは最も偽の世界であり詐欺と同じであり、罪をつくりて解らない無知の世界である。

決して騙されてはならない。

自分で神か仏になったようにしていても、真の神も知らず、その道とその世界の実在も知らず、悟りをもなしていないのである。

全ての宗教人よ、全世界の人々よ、しっかりと覚めなさい。

道は全ての中にあるのです。

教えは全ての中に無量とあるのです。

その自らの心を見つめ直して見なさい。

その命の生きざまを見つめて、まず自分と言うものを知りなさい。

闇と無知の暗い人生を生きていませんか。

覚めた命、明るい光ある人生を生きていますか。

まず出鱈目な宗教に迷い騙されず、真実の自分に帰り、天の者にふさわしい命と完成して、生まれなさい。

その為に道を与えられて生きて人間形成しているのですから。

よいですか、私はその為に覚め悟り、全てに真実の道と世界を教える為に、教えを万と説いているのですから。

人々よ、全ての宗教が真理の道は一つであると気づき覚め知り、一つに調和するならば、世界を大きく変える事もできるのです。

すべての人が花の種を蒔けば、世界は天国の如く、一面の花園と生まれるのです。

実のなる木々を皆して植え育てれば、どこにでもその実がなってだれでもが手にできるのです。

ゆえに神は、生めよ育てよと教えているのです。

人間は逆の事をなしているのではありませんか。

天空を汚したり、温暖化にしたり、やたら掘り起こして、使い、最後は塵と化して、その塵処理に困ったり、海を汚してそこに生きる生命を殺したり、害したりして、自分達の思いと違うと、嘆いたり、困ったりしている。

ゆえに私は『殺す心をこそ殺し、生かす心をこそ生かしなさい!』と教えているのです。

互いに助け合い、与え合い、生かしあって生きて、道を生かし、真の平和世界を人間の力でつくってゆきなさいと言うのである。

宗教家は自分達がどう生きるべきか、なにを成すべきかをよく考えて道をあやまつ事のない世界をこそ作りなさい。

道を修しゆく者達は真の道を目指してゆきなさい。

人々は真の道の教えを学び真実の命に覚めて生きて、光の世界と生まれなさい。

その為に神は全ての中に道と教えをおいて人間世界が真理と覚めた世界を生きて作るのを見つめているのですから。      

『平和とは平らかに和する事を言うなり。
即ち、平等大調和と言う意味である。
それがどう言う意味かを、天地大自然を見て悟りなさい。』


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌
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