真実の宗教とは23 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 23』


宗教の真の意味も知らず、宗教を金儲けの組織として造り、個人の財産としている者達の行く先は誤つ事なく地獄である。

そこにおいてその罪を鏡に写されて、そこに戒める尊者達に見られている自分達の姿を想像してごらん。

その恥ずかしさを笑われて、こんな悪党はいないと言われたら、耐えられなくなってその身を隠したくなる。

そんな思いを貴方達はしたいですか。

そこに存在する赤鬼、青鬼に縛られて獄の苦しみの中に落ちゆく、そこにおいて戒め正される自分を想像し気づく事である。

そこには色々の苦しみがあり、その心と罪の深さによって、そこに縛されるのである。

底の底に落ちて寒さに震えてゆく冷寒地獄。

火炎に何度も焼かれる火焔地獄。

色欲に迷って他の命を殺し奪った色欲地獄。

悪人ばかりいる地獄。

自分の肉を食われ食われるを繰り返す地獄。

首ばかり飛び交い身を食われる首地獄。

壁に首を貼り付けられるその苦しみに耐えられますか。

その罪の深さによって定まる苦界地獄は、この世の獄とは違って大きい事を知りなさい。

よいですか。

神の教えの中にある、人は人を殺すな。

それは戒として示される第一番目の罪を教えているのである。

即ち、不殺生と言う戒めである。

いただいた命、自分を殺す自殺の罪もこの中の一つである。

他の命を殺す罪はそれより重い罪である。

沢山の人を人が殺し殺させる罪は最高に重い罪である。

戦争はその罪が重ねて生み出される大きな罪である。

殺し殺させ、盗み盗ませ、奪い奪わせ、犯し犯させ、破壊を繰り返し、英雄になった錯覚をおこさせる。

戦争に英雄など存在しないのである。

神は戒めとして、人は他の人の物を盗むな、奪うなと教えてくれているのである。

その為に十戒が示されているのである。

無知なる人はそれを簡単に見ているから、罪に対して、この世にその獄を写してその罪を戒める場を生んでいるのである。

罪を犯すから罰が生じその罰が獄を生じ、そこに縛され自由を無くして戒め正しの日々を送らされるのであり、そこで矯正、更正させられて、外に解放されるのである。

この獄がなんの為にあるか気づけば、あの世の地獄が最後の救いの場となるのが理解出来るのである。

気づきと、覚めを与える為にその戒めの場、覚めさせ、救いの場として地獄を示し教えるのである。

こんな事も理解できないで、宗教界において、ただ自分達の利益の為に地獄を脅しの為に利用する世界がある。

その者達は自分達の犯している罪も解せない無知なる者達と言うなり。

合わせ鏡の如くこの世に写して教えくれる神の慈悲、慈愛も理解できずに、やたら自分達の教えに反したら地獄に落ちるなどと脅して、利益を得んとするその世界こそ、地獄の苦しみを受けるべき存在である。

宗教者達よ、よく道を知りなさい。

権力者達よ、よく心と命の道を知り、誤つ事の因縁を知りなさい。

神はこの世にその真理真実の道理を示し、常に教え示してくれているのだから、よく心と命の道を覚め知りなさい。

神はこの世の平和と幸せを人自ら達が覚め成せるようになる事を、つねに見つめて、光明の世界と成せる日が来ることを見ているのである。

人々よ気づきなさい。

そして覚めなさい。

命の世界には純然と道があるのですから、大いなる神と、そこと至りた仏、菩薩、金剛、明王、鬼神、天使、聖霊みなその道の中に存在し、それぞれ教えを示し申して、大いなる道と完成するのを見つめまたこの世に姿を変じて現れ示したり、戒め正したりしているのであるから。

闇と迷い暮らしている無知な人々は、それが理解できないから、自分達がなしている罪が解らないのである。

人は早く心と命と、命の道にある自分に気づきなさい。

なにも実のところで知らない、欲得の宗教家に騙され利用されてはならない。

無知なる権力者達に命じられて戦争と言う一番大きな罪を犯され、犯してはならない。

それは自ら地獄の門と入り苦しみの中に命を落としゆく事なのであるから、みな実なる神の与えくれる教えをよく知り、小さなこだわり、執着の海に落ち沈んではならない。

その為に私は自分の無知無学、悪道に迷い迷いて、覚めないゆえに、神はあえて無実の罪で簡単に裁かれ、獄に長く落とされ、その獄中に心の扉を開かれ、神秘不可思議な世界と入り、そこで覚めを得て、開眼し、自らの涙とともに天より祝福の天雨、香雨を受けて、法を説く自分に覚めたのである。

その日々の喜びの時を過ごして後に、次々と神秘世界を見せられ、その世界に対して教えを逆に説いて、色々の世界を見せられ体験したのである。

その体験は人に語りても人には理解しがたい事実である。

そこにおいて釈迦の体験とその神秘世界を語りても理解できないであろうと言う事も、実と理解したのである。

この沢山の神秘体験の中で智恵を磨き、精進して、今の私へと生まれたのである。

ゆえに未曾有の教えを含めて、万教と説く私を完成させたのである。

全て太陽主たる神の計らいである。

そのゆえに太陽神の日の法を広大無量と説く私が実と生まれて、全ても至れば同じと示し一切太陽の法と示し、証明しているのである。

ゆえに私の教えを皆よく見て学びなさいと言うある。

神秘真実の世界は実と存在するのであるが、そこには欲の為にそれを成す宗教は存在しないのである。

十波羅密多の第一たる教えは、壇波羅密多であり、これは布施の行いを教えているなり。

法施を第一として、布施の道の功徳を示すなり。

天地大自然をよく見なさい。

命を生み完成して与えて喜びとして存在し、成長をして次なる喜びを育ててゆく世界を広く見なさい。

その生んで与える喜びを功徳として当たり前に存在する世界をよく見なさい。

人々を騙し、欲に迷いて奪う世界に真の宗教は無いのである。

ゆえに真実のあるべき宗教をみな迷い盲信せずによく見て知りなさいと教えるのである。

『一切の宗教界が、この神の愛と命の道を知りてひとつに成る時、人間は真実の平和世界を完成できるのである。』

宗の意味を知り、その正しい教を知りなさい。

教えとは開示し、知らしめ相手をして理解せしめる為にあるのであるから。


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌