真実の宗教とは21 | 太陽王法の会


『真実の宗教とは 21』


一本の真理の木を例えると、その木にある枝はみな一つの宗教である。

この一つ一つの枝がみな幹を中心として道を目指して、その頂たる天を求めてゆくのである。

その一つ一つの宗教組織が、その幹を忘れて互いに対立し、差別して、争いているのはその真理を知らない証である。

この当たり前が見えない事は、今だ真の道を開いても、至りてもいない証でもある。

真理の世界は人自らの心の扉を開いてこそ真実となって生まれるのである。

そこと開き真実と出会う為に人は修行するのである。

釈迦のなした道を見なさい。

長き苦行の末に、そこにはその真実はないと気づき、川で身を清めて、菩提樹の下に座を定め、真理を見ずしてここを立つ事はないと心を決めて、禅定瞑想となしたのである。

その真理神秘世界がそこにおいて開けたのである。

その神秘世界に修し、始めの覚め、悟りを開いたのである。

しかしその真理の神秘不可思議の世界の実在を人に話しても、理解できないであろう。

これを語りても、笑う者や石を持って投げつけてくる者達が罪を犯す事になるであろうと考え、そのまま天、真理の世界に帰ってしまおうとしたのである。

その時、梵天神が現れて、迷い苦しむ者達の為にこの事実の道を示し、教えを開いてほしいと願ったのである。

即ち釈迦はブラフマ一(梵天)の法によって、悟りへの道を開いたのである。

それを理解できる道の友なら解るであろうと、そこから遠き道を旅してそこと至り、法と開く道を教えたのである。

それが初転法輪である。

釈迦はそれから更に修して智恵をもってそれを人々や弟子に伝え教えたのである。

この真理真実を信じ知る事ができないならば、その真の悟りへの道も理解できない証となるのである。

宗教家よ、宗教に真の未知を求める人々よ、宗教の真の目的は、闇と迷う無知なる自分に気づき覚める事にあり、正しい智恵を得て、人々にその心と命の世界を知らしめ、真理へと帰らしめる為にあるのである。

神、仏と金で取引するのか。

その宗教の指導者やその組織の拡大のためのみにそれはあるのか。

金、金、金と物を売りつけたり、買ったりするためにあるのか。

よくなにを求めて、そこに依って求めているのか。

よく思い出して見なさい。

心と命の道の為、その暗き無知と落ちぬ為に求め、その悩み苦しみから脱ける為に求め、心とは、命とは、自分はなんの為にこの世に生まれたのか。

何をするべきなのか、無知無明の命から明るい光ある命と気づき覚める為にその道はあるのではないのか。

真の智恵を得て、自分はこの世に生まれて、何をするべきなのか。

無知無明の命から明るい光ある命と気づき覚める為にその道はあるのではないのか。

真の智恵を得て、自分に覚め、全ての幸せの為、平和世界の実現の為に求めたのではないのか。

全ての覚めと救いの為に、真理神に向かって求めたのではないのか、よく考えなさい。

無知無明の闇と落ちる為に宗教があるのではない。

真実の命を知り、真実の世界と生まれる為に求めたのではないのか。

全てが平和に安定して幸せに暮らせる世界を求めたのではないのか。

小さな事に悩み、患い、苦しみ、煩悩や欲望から脱けて安心の命を得たいがために求めたのではないのか。

人々よ、誤つ宗教に盲信してはならない。

闇と迷いの命と落ちぬ為に、その真の『宗』を知り、正しい教えに覚め気づき生きて生まれなさい。

それが真の道なのですから。

宗教において神の名を掲げて戦争などなす者達は皆、地獄の門を自ら開いて人々を落とす一番愚かな世界である。

戦争によっておこる全てをよく見なさい。

土地や家を奪われ、飢えと難民を沢山生み、人と人とが傷つけあい、殺しあう。

あらゆる破壊を平気でなすその事実、それを成し成さしめる権力者こそ、この世界の一番の無知者であり、自らと人々を闇と落とし、この世に地獄世界をつくる最たる悪道の悪人である。

そのような無知者が神の名を語りたり、宗教を語りたりして利用するのは、大悪人である。

ましてや未来を造りゆく子供達を平気で殺すような者達は、皆、神の怒りをかう事になる者達である。

神は人の成す事を見つめており、天地自然にその怒りを示させる事もなすのである。

人が天災と申すも、人自身がこの天地自然の営みを汚し、考えず破壊し、欲望に走るからその因果因縁によりて、天地もその命を守る為に再生の為に正しゆくのである。

それが地球と言う命の営みでもあり、台風が大きく生まれたり、水害となったり、地の直しの為の大形地震となったりして動くのが、人には震災天災という考え方となってゆくのである。

人はゆえによく天地大自然の理をよく見て学ばなくてはならないのである。

真のところは何も知らない自分達の事実を知らなくてはならない。

その無知の闇から脱けさす為に悟りへの道が与えられているのである。

人間こそ一番の迷い人である。

神は真理にそった道を人に与え、人自身において、この世界を正しくつくり生きられる事を望んでそれを見つめているのである。

人々よ、正しい宗教、真理に覚めて生きなさいとゆえに教えるのである。

『真理とは、真実、道理を言い、そこと気づき覚めさす為に道は全てに与えられているのであり、神の教えはまた全てにあるのである!』


太陽の法嗣

大日 天光子

合掌